十数年前に愛と神様について考えたことがあります。
私は、十代の頃から『何故生きるのか』と生きる意味を考えていました。 そして愛はどこにあるのか、神様はいるのかと考え始めたら底がない世界にどっぷりとつかっていました。
小学生からの家庭内別居状態の家に育ち、高校生の頃には心臓病を患いそんな中、生きてきたら『何故生きるのか』という疑問が自分の中に生まれたのです。
私は、ずぅーっと考えていました。 愛と生きる意味の事を。
そしてとある日気付いたのです。 愛を自分以外の物に求めてもそれは一時的な物だと言うことが解りました。 そしてまた一つ愛とは己の中にあり無限に湧き出ている物だと言う事にも気付きました。
自分の中に優しさや慈しみの心が途絶えない限り永遠に自分の中にあるのです。 もっと言うと優しさや慈しみの心が途絶えたとしても、その根底にはしっかりと愛があるのです。
人は常に愛に繋がっています。 それに気付くか気付かないかだけなのです。
人に愛を求めた事がある人ならば解るでしょう。 相手に求める愛には限りがあることを・・・。
私も気付いた一人です。 そして自分の中の愛にも気付いた一人です。
自分の中の愛は、無限の愛です。 尽きることなく無限にあふれ出てくる愛に気付くことが出来ると、心で物事が見えるようになりました。
そして自分の中にある無限の愛と神様は似ていることにも気付きました。 人は神様を自分の外側の世界に求めます。 ただ外側に求めている限り、限りがあります。
己の中に神様はいるのです。 愛と似ています。
愛は己の中にあります。

読んで頂き有難うございます。(^^)
『皆様が心豊かに幸せに暮らせますように。 そして新しい気付きがありますように。』
元気
元気さん、こんばんは。
いつも拝見させて頂き、元気を頂いております。
ここ最近、自己否定する自分から逃れられなくて、苦しんでおりました。
考え方の癖を変えようと努力を試みては、またもとの自分に戻ってしまう繰り返しです。
でも、読ませて頂いて、ちょっぴり元気が出ました。
ありがとうございます。めげずに頑張ってみます。
coco さん、こんにちは。
いつもお越しいただいているようで、有難う御座います。
自己否定。
誰しもが持っている思考ですよね。 もちろん私も。
今回の記事がなにかお役に立ったのなら幸いです。
昨日の自分より1mm、1%ずつ前に進むことを意識していけば、必ず自分の進もうとするとこに進めますよ。