笑顔一つ

笑顔一つでよくも悪くもなる。

 

お店に行ったときに、接客してくれた店員さんの笑顔一つでお店の評価が変わることがある。

 

忙しい中にも、心のこもった(←いや営業スマイルかもしれない。)、笑顔を向けてくれると、ちょっとだけ安心する。

 

知らない人と出会うとき、人は3秒でその人が『いい感じの人』か『そうでない人』を判断する。

 

ましてや商売をされている時は、その個人の対応がお店の評価に繋がる。 自分ひとりだけの評価ではなくなってくる。 あまり良い印象ではない場合『二度とこんな店に来るか!!!(怒)』となってしまい、お店としては一人の大事なお客さんを逃がすことになってしまう。

 

だから営業スマイルでも良いので、お店はしっかりとスタッフの教育をしなければならない。 (←でもあまり過剰なのもひいてしまうので、ほどほどナチュラルな感じにね♪)

 

お店でなくても個人的な関係においても、第一印象で評価が変わる。 大事なポイントは『目が笑っているか』である。 こうかくとなんだかハウトゥ本見たくなるが、目が大事なんです。

 

一説には、目にはその人の魂の輝きが宿るいいます。 その人の情熱や愛情、慈しみの心が全て目に表れます。

 

時々思うのがお店にいって事務的に仕事をしている人を見ると私はこう思います。

 

『やる気がないんだったら、とっととやめちまえ!!』

 

と。

だって、せっかくこっちは何かを購入しようと思って楽しい気分でお店に行っているのに、感じが悪い店員さんがいるだけでこっちのテンションまる下がり・・・。 本当に迷惑です。

 

やっぱり仕事を楽しんでいる人と出会いたいですからね。 仕事を楽しんでいる人は、仕事をきっちりとしてくれますし、それ以上のサービスもしてくれます。 こっちが知らない事を教えてくれたり、色々な特典がついてきます。

 

そういう人と出会えるのは、ちょっとした楽しみでもあります。

 

それと逆に『やる気が無い人』

私は思うのですが、仕事が面白くなく嫌々やっているなら、相手にも迷惑だし、自分自身にもなにも良い事ないようですよね。

 

元気になる為には、自分が打ち込める仕事をするのが一番です。 自分が持っているパフォーマンスをきっちり発揮したいと思う、仕事につくのが精神衛生上もよろしいかと思います。

 

話がどんどんずれていっているようなので今日はココでおひらき。

 

笑顔を大事にするだけで、自分の感じている世界が変わります。 どうぞ笑顔を大事にしてくださいね(^^)

 

クワガタ

今日の仕事中。

 

何かが私の視界の一番端でうごめいていました。

『ん、なんだ』

 

と恐るおそる近づくと、床の上で黒い物体がひっくり返ったまま足をバタバタさせてうごめいているではありませんか。

 

『ごきちゃんか!?』

 

と思いましたが、よく観て見ると!!!

なんと 『クワガタ』でした。

 

『こんな所でひっくり返って寝ていると風邪引くぞ』

 

と思い、クワガタを起こして手のひらにのせてあげました。 クワガタはなんだか『有難う』と言っているようでちょっと嬉しそうでした。

 

『こんな所にいると危ないから、危なくないところに移動してあげるね』

 

手に乗せながら移動し適当な気のところまで持って行ってあげました。

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『自分で飛べばいいのに、甘えん坊だなぁ』

 

木のところでクワガタは、舌をだしてなんだかあっかんべー!をしているようでした。 でもちょっと嬉しそうな表情。

 

『雨降っているからしばらく雨宿りして、ちゃんと家に帰るんだよ~』

 

それにしても、こんな時期にクワガタって活動するんだと言う事に驚きました。 小さなときは、夏休みによくクワガタを摂りにいっていたので、夏のイメージでしたが、どんな生き物も一生懸命生きているんですね。

 

何年かぶり、いや何十年ぶりにクワガタと接してちょっと楽しいひと時でした(^^)

 

なくした物

自分の中でなにか大切なものをなくしている事に気付く事がある。

 

以前は、気付かずに持っていたものが何故か、今の自分からなくなっている。 一体どうしたんだろう!? と思う。

 

いつの間になくしてしまったのだろう。

気付いたときには既に無くなっていた。

 

無くしてから初めて気付く物でもある。

でも自分の中にあったものだから、完全になくしたわけでもない。 ただ思い出せないだけである。

 

さぁ、今からでも遅くない。

なくしたものに気付いてもいい。 そしてもう一度大切にしまっておいてもいい。

 

あなたの中の素晴らしい宝物がまた発見されようとしている。

 

 

歩行困難者使用中!?

歩行困難者使用中という標章が目に付いた。

 

仕事で訪れた新宿の路上パーキングでの出来事。

路上パーキングは、60分300円なので、お財布の中をゴソゴソと探し機械にお金を投入。

時々、小銭がなく千円札がつかえないので、近くのジュースの自動販売機で買いたくもないジュースを買ってお金をくずしてから払うあの機械。

 

そんな時、ふと後ろに止まっている車が気になった。

『あっ、機械の赤ランプがついている! もうかなり時間オーバー(2時間)している』

と思ったのですが、車のダッシュボードにこんな札が!

『歩行困難者使用中』の札。 おぉ、公安委員会って書いてある。 これは天下御免の何処でも駐車のご免状ではないか!!

 

よく夜の銀座の路上に、高級外車のダッシュボードにこれ見よがしにおいてあるあの札だ!!

 

そして、その札が新宿でのその後ろの車にも。

『あっ、足の悪い人なのね』 でこんなに長い時間車止めてどこにいったのだろう。

と思ったが、ちょっと興味があるのでその免状をまじまじと観察。 おっと仕事があるからこんな事をしている場合ではない!! と思いつつフムフム。

 

そして一つの2つの疑問がうまれた。

一つは実はその車は、外車のランチャーと言うメーカの車である。 なぜこんな高い車を乗っている人が、こんな免状をダッシュボードに置いて、何時間も止めているのだろうかと。 長い時間、止めるならちゃんとしたコインパーキングに止めればいいのに。

 

そしてもう一つの疑問。

その車ランチャーは、オートマ車ではなくマニュアル車だったのだ。

『足が悪い人が、こんなマニュアルの早い車を運転できるのだろうか』と疑問が。

 

と疑問と言ったが、私の中では既に答えは出ていた。 夜の銀座に現われる奴らと同じだと言うことが既に解っていた。

 

本当であれば免状を置く場合、こういう規則があるらしい。

『車両を離れるときは、「運転者の連絡先又は用務先」の掲出が必要です。』

 

と警視庁のサイトに書いてあった。

そんなものは何処にもおいてないので、その時点で『違反』なのである。 もうこういったずるをする人達をしっかりと取り締まって欲しいものです。

 

本当に足が悪くて困っている人の迷惑だと思います。 障害があるひとが利用できる手段を悪用するって普通に考えて良くない事。 なんで高級車に乗っている人は、パーキング代をケチろうとするのか解らん。←全員ではありませんが一部の悪知恵の働く人。

パーキング代を払えないような奴が高級車を買うなと独り言。

 

どこの世界に、歩行が困難なのにマニュアルのスポーツカーを乗る人間がいるのか。 その神経を疑っちゃいますよね。

『参考 警視庁 駐車禁止等除外標章(身体障害者用)の使用方法及び申請手続について』
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/jogai/jogai.htm

大人の役割

ニュースでショッキングなタイトルのニュースがあった。

 

2歳長男に運ばせおむつ盗む』

 

個人的に非常にショッキングなニュースだった。

 

子供は無垢な存在である。

子供は親の言うことを素直に聞く。 そして行動する。 親はそんな無垢な存在に対し、最大限の良心をもって接し導かなければいけない。 それが親の使命である。

 

このニュースは、親が親で無くなっていることを如実に表している。

ただ自分たちの私利私欲の為に、子供を利用しそして何も知らない子供に罪を犯させる、卑劣な行為である。

これは断じて許しがたき事である。

子供は親を信頼している、そんな子供を利用してはいけない。

子供は親を信じている。そんな子供を裏切ってはいけない。

それは最低限の親の責任である。

 

『私だって大人じゃないのよ!』

 

と、言う親がいる。 だからこそいま親の道を進み精進している。 だれしもがそうだ。 必死に生き、必死にもがき、自分を磨いていく。

それが生きると言う事だ。

 

大人とは、無形の物である。 見た目が『大人』に見えても、それは大人ではなく、ただ細胞が長く過ごしてきたに過ぎない。

本当の大人とは、智慧をもち、良心を持ち、愛をもつ存在である。

誰しもが無意識にそこに向かう道を進んでいる。

だが途中で脱落するものもいる。 そして他人の役に立っている者もいる。 『人の振り観て我が振りなおせ』 よく日本人は言ったものだ。

素晴らしい価値観だ。

今回のニュースを観て、多くの人がそれぞれに考え思ったことだろう。

ある意味、その機会を当事者は作ってくれた。 但し、あまり良いものではなかったが・・・。

 

もしオムツを買うお金が無くて犯行に及んだとしたならば、その前に周りに助けを求めればよかった。

正直に

『オムツを買うお金がありません。 少しで良いので分けていただけませんか?』

 

と隣人や地域の人に言えば、誰かがきっと考えてくれたはずだ。 みな大人への道を進んでいる同志だ。 誰かが困っていれば、必ず手を差し伸べる人がいる。

 

そうすれば、2歳の子供に犯罪を起こさせる必要は無かった。 悔やまれる事だ。

ただ、今回の件は親に元々『悪意があった』事が、どうもちらついてしまう。 浅はかな考えの元の行為だろう。 その親を教育しなければいけなかったのは、またその親の責任だ。

 

教育とは勉強ではなく、人として生きる道を示すこと。 それを親や大人は決して忘れてはいけない。