困難は壁ではなく遮断機

私たちが生活していると時として目の前に立ちはだかる困難に遭遇するときがあります。

この困難を『壁』と表現することしばしばです。
ただし、この困難は『壁』なのでしょうか。
私は単なる遮断機だと思います。
踏み切りにある遮断機です。 遮断機はある時はしまっていて通れないけど、少しまっていると遮断機があがり通れるようになります。
遮断機が上がる前にあきらめて、後戻りする人。
遮断機が上がるのを待ちきれずに、ほかの道を探す人。
遮断機が上がるのを待つことが出来なくて、またいで通っていてしまう人。
色々な人がいます。
私たちが経験する困難という遮断機は、実際の遮断機と同じように働き、そしてそこで色々な人の性質を垣間見ることが出来ます。
ただ一つだけ共通していえる事は、必ず遮断機は開くということです。
遮断機が上がる前にあきらめた人、待ちきれずにほかの道を探す人は、その遮断機の先の景色を見ることは出来ません。
困難にぶつかり諦めた人は、その困難の先にある景色が見えません。
そしてまた同じ困難にぶつかります。
私たちの道は、多くの選択肢があり多くの道がありますが、必ずどの道を通っても通らなくてはいけないチェックポイントがあります。
それがこの遮断機です。
遮断機が上がるのを待って、その先に進むか諦めて戻るかは自分の選択です。
私たちは自分が進むことが出来ないチェックポイントを通ることはありません。
必ず通れる道を通っているのですから、遮断機が上がるのをしっかりと見届けましょうね。
その先にある道を進むために。

自分に期待する

何事も自分に期待することが大事です。

よく私たちは、他人に色々と期待してしまう事があります。
他人に期待する事は、その決定権は他人にあるため、得てして自分の思うとおりにはならないことがシバシバです。
そしてストレスが溜まったりする原因になります。
もし『期待』というカードが一枚しかなかったら、あなたは『自分』に使うのか『他人』に使うのかどちらでしょう?
私は絶対的に期待のカードは自分に使います。
思い通りにならない他人にせっかくの一枚の期待カードを使うことはもったいないです。
自分に期待のカードを使えば、自分が期待に答えてくれるチャンスを得ることが出来ます。
自分が期待している通りの行動をし、引き寄せるチャンスがうまれます。
自分で考える選択肢は無限大です。
自分の思い通りにならない他人より、やっぱり自分の為に期待カードを使いたいです。
いろいろ自分に期待をすると色々な事を引き寄せる事が出来ます。
想いの力がうまく作用するようになります。
もしこの期待の力を上手に使っている人がいるならば、自分に期待することの素晴らしさ重要性を知っているでしょう。 
もしまだ期待の力を上手に使いこなせていない人も心配は要りません。
今日から自分に期待すれば良いだけです。
明日、目が覚めたらカーテンをあけ太陽を見てこう期待しましょう。
『今日はどんな素晴らしい事が起こるかのか、期待しています。』
この祈りを毎日の習慣にすると期待の力を上手に作用させることが出来るようになりますよ。
期待の力を上手に使いましょうね。

年齢は自分で決めている

年齢は自分で決めています。

他人から見た場合、その人を判断する材料に年齢は入っていません。
姿や言動、行動などで人を判断します。
年齢は聞かないと解らないから、他人にとって判断をする材料ではないのです。
ところが自分の事を考えると
『もうこんな年だから』
『年をとってしまった』
などと何かにつけ年齢のせいにしてしまうことがあります。
年齢とは不思議なもので、知らない人から見るとどうでもよい事であるのに、本人は必要以上に年齢を気にしている。
年齢という呪縛に自ら縛って行動を抑制したりしています。
年齢のせいにしていろいろなチャンスをみすみす見逃していることもしばしば。
もうそろそろ必要以上に年齢を気にせず行動してもよい時だと思います。
自分らしく精一杯、年齢に縛られること無くのびのびと生活をしましょう。

ありがとうという言葉

私たち日本人には大切な言葉があります。

それは
『ありがとう』
です。
ありがとうという言葉は、その言霊、エネルギー、韻のどの側面から見ても完成された言葉です。
そして強力で素敵な力を持っています。
どうしても私たちは使いやすい『すみません』という言葉を使いがちですが、すみませんではなく『ありがとう』をしっかりと言う事が大事です。
すみませんの言霊のパワーとありがとうの言霊のパワーには比べようもない差があります。
ご自身が『すみません』と『ありがとう』どちらを言われたときに嬉しいか振り返れば一目瞭然だと思います。
ありがとうを是非、大事にしてくださいね。

守られている

私たちは守られています。

今日私は、普通なら大事故につながる場面に遭遇しました。
普通なら病院送りになり、何針も縫う大怪我になる場面でした。
でも私は、多少の流血はしましたがほとんどかすり傷程度で済みました。
私もその軽症ぶりに驚きましたが、
『あ~、守られているんだな』
と思いました。
私たちは人知れずいつも守られています。
神様やお蔭様、ご先祖様など多くの方に守られています。
これは信仰によって感じ方が違うと思います。
私は、特定の宗教などには属しておらず強いて言うなら多信仰です。
石にも神様がいらっしゃるし、空にも大地にもどこにでも神様がいらっしゃると感じています。
神道に近い考え方かも知れません。
日本人は太古より八百万神の存在を知って感じていました。
私たちはいつも守られています。
なんと言っても八百万もの神様がいるんですからね♪
守られている事を信じると、守ってくださる方も多くなります。
日本人は元々、ケルト民族のように見えないものを感じる力を持っています。
守ってくれている存在を身近に感じ親しみをもって接することが出来ると、また一つ愛の道に近づきます。
守られている。
その事を忘れないようにしたいですね。