陰と陽

陰と陽がこの地球や宇宙、そして私達人間のなかにも存在します。

陰と陽は表裏一体。

夜があれば朝がある。

雨があれば、晴れがある。

怒っている時もあれば、笑っている時もある。

ちょっと考えてみても自分の中にも色々な表裏一体を探すことが出来ます。

その時々でどちらの比重が多くなっているかだけの違いで、自分が感じている世界が変わります。

自分が悪い方向に考えがちな時には、物事をネガティブに捉えてしまいます。 でもコレも私達の一面。

でも一面でしかないのです。 それが全てではありません。

でも調子が悪い時は『それが全て』と考えがちで、どんどんその世界に自ら望まなくても入り込んでしまいます。

でも大局的にみると、その時期がすぎればまた『陽』に戻るのです。

黒い中にも白が、白の中にも黒があり。 その大きな黒と白がグルグル回りながら私達や世界を形成しています。

だからいまが悪い時だと思っていても、それがやがて過ぎ去っていくことを知っているだけで、少しだけ楽になれます。

陰と陽は、循環しながら起きているのです。

ただ撒いた種

今日は雨降りでした。

雨の日はなにか気分が乗らずどんよりとしてしまいます。
でも視点を変えると、大地が潤います。

草木はきっと喜んだことでしょう。 でもまだ季節は寒いので草木にとっては耐える雨になったのかも知れませんね。

嬉しいけど辛い。

そんな感じでしょう。

でもそんな辛さを乗り越え、栄養を蓄えドンドンと成長しいくのでしょう。 中には寒さに耐え切れず枯れてしまう草花もあるでしょう。

なんだか人間みたいですね。

やっぱりみんな生きている。 地球も生きている。 宇宙も生きている。 人間も生きている。

辛い時も悲しいときも、すべて喜びも生きているから味わえる。

時には心が折れることもある。 枯れてしまう事もある。

でもそれを乗り越えていけば、きっと花が咲く。

人間も草花も一緒。

そうそう、うちの日が当たらない小さな庭にまいた芝生の種から、小さな緑色の小さな赤ちゃんが元気よく芽をだしてくれました。
なんの世話もせず、12月にばら撒いた種からでた芽。 とっても嬉しいです。

他にもお花の種をばら撒いたのですが、その種からも小さな芽が出始めています。 どんな花を咲かせてくれるのでしょう。 いまから楽しみです。

ただ撒いただけの種から、力強く芽を出してくれる草花達。

私達も力強く、芽を出したいですね。

周りを照らす光

あなたがもし、世界を照らす光になれなくて落ち込んでいるならば、そう落ち込まないでください。

世界を照らす光は『太陽』にまかせておけば良いのです。

あなたはあなたがいま生きている身近な世界で光り輝けば良いのです。 

あなた生活する家、出会う人、家族、恋人に対してあなたはあなたなりに光り輝けば十分なのです。

自信を持ってください、あなたはオリジナルで素晴らしい存在です。 誰としてあなたと同じ人は居ません。
あなたは完全なオリジナルなのです。

あなたが、あなたの愛を表現し、輝き始めた時。 あなたがいま感じている世界が変わっていくでしょう。

そして多くの人が、自分が行きている身近な世界で光輝いてる事を想像して見てください。

世の中にきっと愛が溢れだしていることでしょう。

一人ひとりの心の方向が、ある一定の方向を向いた時にとても素晴らしい世の中になることでしょう。

不思議な香りとメッセージ

先日、車を乗っている時に不思議な香りに包まれました。

この香りには以前にも包まれてことがあります。

『白檀の香り』

実は、この香りの実物を嗅いだことはありません。 でもイメージで白檀であることが私には伝わってきます。

この時私は

『この香りは以前にも嗅いだことあるなぁ~』

と思いながら、考えていると

『そうだ、ガネーシャだ!!』

と思い出しました。 私は白檀もガネーシャも実はあまり馴染みがありません。 ガネーシャさんについては以前同じ香りを感じた時に調べた時にガネーシャさんであることが解りました。

そしてガネーシャさんの香りである事に気づいた瞬間、私の体のなかに稲妻のように、エネルギーが入ってきました。 そのエネルギーは安らぎ、平和などを感じるものでした。

ガネーシャさんのエネルギーが私の身体に入ったのです。  

でも、私にはガネーシャさんは馴染みが無く、何を意図しているのかもさっぱり解りません。 解るのは、私の所に明確に分かる状態でいらっしゃったのが2度目であるということくらい。 思い出してみれば子供の頃も、このエネルギーの波長を感じたことがあるような気がします。

結構、私と波長があるのかも知れませんね。 でもなにぶん、ガネーシャさんの事をあまり知らないので・・・。

さてさて、前置きが長くなりましたが、今回のメッセージと言いますか、私が考えていたことについてガネーシャさんが伝えてくれたことを書きます。

ちょっと頭の整理中。

今回、ガネーシャさんがいらっしゃった時に私が考えていたことは、争いと平和の事でした。 私は、今の時代がなんとなく混沌とした世の中に感じていて争いと平和、安らぎの事について思いを馳せていました。

そんな時、

『争いは争いしかうまない』
『誰かを傷つければ、その傷の痛みをあなたも味わう』
『あなた達が、平和に対し祈り(感謝すれば)、その数が増えた時に争いの中の魂の意識にその思いは届くでしょう』

と言うことでした。

世界的な事件、争い。 日常生活の中の争い。

全ては、人々の中の相手を思いやる心の意識が低くなりつつある事が一つの原因。
自分さえ良ければ良い。 そんな考えを意識・無意識の領域で持ちつつある人々の増加。

そして殺伐とした世の中が形成されていく。

人間には自由に選択する意思を与えてあります。 それを有効に使うのか、私利私欲のために使うのか、それとも自分の生きる目的のために使うのかは自由です。 だれもなにもこの領域には干渉しません。
私達はただ、その機会を用意しているだけです。

あなた達が争いを選べば、それが現実になるでしょう。 あなた達が安らぎをもとめればそれも現実になるでしょう。 あなた達が心を閉ざせばそれも現実になるでしょう。 

全ては自由に選択出来るのです。

ただ私達は、その自由な意思を出来る機会を与えているのです。

そして私は安らぎを人々に感じて欲しいのです。 私達はそのためにいるのです。

いま世界中で様々な事が起きています。

争いは争いしか生みません。 自爆テロ等を行うまで追い詰められた人達もいます。
ある女性は、自分の身体に爆弾を巻きました。 それは自分のなかの怒りの感情を少しでも癒すためです。 但し、自分の身体に爆弾を巻いても少しも癒やされることは無いのは彼女も知っていました。 それでも彼女はそうするしかなかったのです。

彼女の家族は、空から降ってきた人間が作った悪魔により傷つけられました。 彼女は自分の子供3人を亡くし、そして兄も亡くしました。 彼女の怒りと悲しみが彼女を行動させました。

もしあなたが、あなたの大切な家族の命を奪われ、大切な人ともう二度と話すことが出来なくなり、独り残されたら行動をしますか。

『争いは、争いの連鎖をうみ、そしてまた争いをうむのです』 この争いは、争いをやめるまで永遠に続くでしょう。

争いは、悲劇しかうみません。 負の感情しかうみません。 それでも争うという選択をしますか。

あなたには、争わない選択をすることも出来ます。 あなた争わなず、相手を想いやることも出来ます。 あなたは他人を愛することが出来ます。 あなたは悲しみの人々を救う事が出来ます。

あなたにはそれらを選択する自由な意思を持っています。

私達はただ機会を与えているだけです。 選択するのは自分自身です。

自分の良心に従えばいい

自分の良心に従えばいい。

この世の中、何が悪いのか、良いのかわからない時がある。

そんな時は、自分自身に聞いてみればいい。 つまり自分の良い心に従えばいい。

あなたの心は、あなたとともに成長し、沢山の事を学んだ。 最高のあなたのベストフレンドだ。

あなた自身が迷った時は、そのベストフレンドに聞けばいい。

そうすれば、あなたの中の答えは出るはずだ。

それが良いのか、悪いのかは判らない。 全ては結果にすぎない。

あなたにはプロセスが大事なのだ。 あなたが悩み苦しんだこと、それはとてもよい経験であったことにいつか気付くだろう。

あなたには、その経験が必要だった事があとで判ると思う。 すべてはすでに用意されているのだ。 そしてあなたはその用意されている事から選択するだけなのだ。

何かが良くて、何かが悪いなんてことはない。 すべて自由に選べば良い。 

あなたがもし悪い心に従って物事を選択すれば、きっとその道の先にはまた学びの機会が与えられるであろう。

もしあなたが良い心で物事を選択すれば、きっとその先にはまた学びの機会が与えられるであろう。

どちらにしても学びなのだ。

ただ、あなたが『いい気持ち』になるか『悪い気持ち』になるかでは、大きな違いがあるだろう。 だから自分の良心に従って選択すれば良い方向へ行く道につながっていくでしょう。

但し、その道の先にはさらに学びがあるかもしれない。 でももう安心して良いのです。 あなたは良い道を歩む方法をもう知ったのですから。

あとはあなたが歩むだけです。