幼児用トイレがない!!

『幼児トイレがな~い!』

 

今日は、子供と総合病院に行ってきました。

そこでの出来事。

子供『うんちしたい』

私『ウンチですか先生』

 

大体こういった場合、小児科のトイレには必ず幼児用トイレがあるはず。

なので小児科のほうに早足で向かった。

男用トイレと女用トイレがあった。 私は男なので男用トイレに入る。

 

私『幼児用トイレがない・・・。(汗)』

 

仕方がないので大人用のトイレの便座に座らせる。

 

子供踏ん張るがでない。 便座が大きすぎて具合が良くないようだ。 ここでは出ないので別のトイレを探す!!

 

今度は『誰でもトイレ』。

やっぱり幼児用トイレがない・・・。

 

その間に子供の便意はなくなったようだ。

 

そして診療待ちのソファーに座っているとまたもや

 

『ウンチしたい!!』

 

私『!!』

 

そのフロアのトイレを探す!!

見つかったがやはり幼児トイレがない。

チャレンジしてみる。

でも出ない。

 

仕方がないので病院の方に聞いてみる。

 

私『幼児用トイレどこかにありませんか!!』

 

病院のスタッフ 『小児科の所にあるはずですが・・・』

 

私『!!』

 

ダッシュでフロアを駆け下り小児科前に到着。

ここはさっききたトイレと一緒だ。

何かを見落としているか・・・。

 

スタッフに聞いてみる。

 

私『あの~、幼児用トイレがあると聞いて来たんですが』

 

スタッフ『ありますが・・・。 女子トイレのなかに』

 

私『・・・。』

 

スタッフの方に連れ添って頂いて渋々女子トイレの中にある幼児トイレに子供を連れて行って事なきを得ましたが・・・。

 

はっきり言って私の疲労とショックの波が私の中で衝撃波として襲っているのでした。

 

男なのに女子トイレに入らざる終えない状況はなんだか自尊心を傷つけられた感じをします。 たまたま女性の方はそのとき入ってこられませんでしたが、入ってきたら事情を知らない方からは変態扱い。

 

スタッフの方も『スペースが広いので中に入っていれば大丈夫ですよ』と声を掛けてくれたが、用を済ませてドアを開けるとそこにいない!!

私はてっきりそこで待っていてくれている物だと思っていたので、なお更ショックが大きかった。

 

その場面で女性の方と鉢合わせになったらと考えると・・・。

きっと白い目で見られてしまうケースもあったんだろうなと・・・。

 

それにしても総合病院という小児科もある施設なのに、幼児用トイレが女子トイレの中にしかないということは、いかがな物かと思います。

 

私は声を大にして言いたい。

 

『男だって子連れで来るだろう!!』

 

 

得意

だれでも得意な事がある。

 

例えば、腕。

右と左に腕がついている。

人には利き腕がある。

そして利き腕を使ったほうが、利き腕でないほうを使うときよりも物事をスムーズに行える。

 

これは利き腕のほうが、得意な分野が多いということになる。

でももっと小さく観ていくと、例えばギターを弾く。

利き腕は右だ。

でも通常ギターでは、右はピッキング。

そして利き腕ではない、左手はフィンガリング。

 

これに慣れていると、左右を逆にした場合まったくギターが弾けない状態となる。

 

つまり大まかに利き腕というツールを使うのに慣れているが、場合によってはそれに拘らず対応するほうがうまくいくということである。

 

自分の得意分野で勝負するのか、また一歩下がって得意分野を生かしつつ勝負するのかは、ケースバイケースである。

 

どちらにせよ得意なことを生かしつつ物事にあたるほうが自分的にも楽だ。

うまく自分のフィールドに得意分野をマッチングさせれれば、うまくいく成功率はアップするだろう。

 

得意な事を、いつもどおり活かすか、はてまて違った視点から活かすかは自分のさじ加減であろう。

 

 

ちっちゃいプライド

ちっちゃいプライドを持っていますか?

 

ちっちゃいプライドって誰でも持っているものです。

見栄だったり虚栄心だったりその他モロモロ。

 

どうでも良いことに拘ってしまう。

 

例えば、若い頃ってお金がなかったり何も持っていなかったりする。

でも彼女の前ではかっこつけたいって思う。

 

でも社会的な視点で見れば、単なる若い青年である。

でも彼女の前ではかっこつけたい。

 

そのかっこつけたいが間違った方向へいったりしたら大変。

例えば車の運転。

デートで車を運転する。 間違った価値観で『スピードが速く運転できる自分はかっこいい』という価値観があったとする。 そうすると彼女の前でかっこつけたいと思う。

 

その結果どうなるかというと、スピードの出しすぎで対向車線へはみ出したり、ほかの車に衝突したりという類の事故が起きる。

よくニュースであるパターンだ。

 

この例もちっちゃいプライドの影響。

何も若いからそういうわけでもない。 年齢は関係ない。

ちっちゃいプライドを持っている人ほど、行動する勇気がなかったりする。

 

何も失うものはないのに、失敗を恐れて何もしない。

 

変なプライドなんて入らない。

いつも何がより良いのかを考えればよい。 さっきの例の若い人の車のスピードの出しすぎも、ちっちゃいプライドをすてて何がより良いのかを考えれば、答えは安全運転にたどり着く。

 

彼女の前で安全に車を運転すれば、彼女も安心してデートが出来る。 それが信頼につながっていく。 その結果どうなっていくかは説明するまでもない。

 

自分の間違った価値観、ちっちゃいプライドに邪魔されて本質が見えなくなっている自分。

 

もしそんな自分が見えたら、今からでも遅くはない。

少しずつプライドを乗り越えて本質に近づいていけばよい。

 

プライドを捨てることによって、気付くことがある。

プライドを捨てることによって、得るものがある。

 

本当の自分に近づき表現することにより、もっと楽に生きれるようになる。

 

ちっちゃいプライドを失うことを恐れる必要はどこにもない。

 

 

 

 

引き寄せる力

私たちは引き寄せる力を持っています。

 

私たちが気付かずに使っている力。

それは引き寄せる力です。

 

引き寄せの力とは、文字通り『引き寄せる力』。

物事を自分の思っている方向へ導く力。 これは人間に与えられた秘密の力なのかも知れない。

 

人間とはそもそも発信機であり受信機である。

自分が発する波長。

自分が受信する感度。

 

この二つの機能を持っている。

引き寄せる力とは、自分が発信する波長を上手にコントロールする事で発揮される。

コントロールすると言うと、難しく思えてくるが実際はそんなに難しいことではない。

 

自分自身を自分が求める波長にピントを合わせるだけでよい。

そして自分自身の受信する感度を研ぎ澄ますだけでこの力は働く。

 

例えば、自分が怒っているとしよう。

そういう時は、周りで起こる出来事はイラつくことばかり起こる。

 

このことはまさに、自分の波長の怒りの成分がその波長に等しい現実を導き出しているに過ぎない。

 

だから、意識するにせよ無意識にせよ十分に自分の思考をコントロールする必要がある。

そうではないととんでもないことを引き寄せてしまう事もあある。

 

引き寄せる力は誰しもが持っている、上手にコントロールし生きやすい現実を引き寄せるのがいいのではないかな。

 

息抜き

人間息抜きが必要だ。

 

仕事や学問を一生懸命がんばる事はいい事だ。

但し、がんばり過ぎは良くない。

 

何事も程々がいい。

一生懸命行ったらそれと同じくらいの息抜きをしよう。

 

大好きな音楽を聴く。 外へ出かける。 ゲームをする。 テレビを見る。

 

何でもよい。

がんばった分のバランスをとろう。

人が生きるうえで大事なこと、それはバランスだ。

 

バランスを崩すと体調が悪くなったり病気になったりする。

日本語には古くから『働きすぎは体に毒』という言葉がある。 まさにこの言葉のとおりだ。

 

但し、働くことや学問が趣味の人がいる。

その人は、それに取り組んでいるときに喜びを感じる。

そういった方は、大いに取り組むのが良い。 一挙両得の状態。

 

但し、こういった方は極まれ。

普通の人は、どこかで努力して取り掛かっているのが一般的。 だからこそガス抜きが必要。

 

連休に旅に行くのも良いでしょう。

十分に放電した分を、自分の好きなことで充電してください。

それが明日への活力になります。