自分の心の動き

自分の心の動き合うことが大事です。

 

昨今、デジタル製品の普及、特にスマートフォンの普及により自分の心の動きを認識する機会が激減しています。

 

スマートフォンは確かに便利。

但し、『何かを得れば何かを失う』の言葉の通り、失っているものは大きい。

 

一番失っているのは『自分の心の動きを認識する時間』

暇さえあればスマートフォンの画面に向き合っているようでは、到底自分と向き合うことは出来ない。

 

一番近くにいる自分のよき理解者の自分をないがしろにしている。

それでよいのだろうか?

 

私もスマートフォンを持っている。

とても便利だ。 但し、時間を浪費する魔物が住んでいる事にも気付いている。

 

あっという間に時間が経過してしまう。

あるいみ恐ろしいアイテムだ。 便利と言うのは冷徹な一面を持つという良い例だ。

 

昔の日本人は、自分の心と向き合って短歌や俳句を読んだ。

昭和のテレビがまだそんなに普及しない頃には、まだ精神が大事にされていた。

 

平成になって『自分=精神』がないがしろにされ、物質社会の中の一つの要素と人間がかしている。

 

携帯電話の普及、パソコン、インターネット、スマートフォン。

本当に便利だ。 但し、そのなかで自分との対話の時間を失っていないかと不安に思う。

 

そして人との付き合い方が『0と1』の世界になって、人の心から思いやりの心や真心が少しずつ消失している。

 

外国でもスマートフォン依存症は大きくフォーカスされてきている。 そろそろ日本でも陽の部分だけではなく、陰の部分にもフォーカスすべき時期が来ている。

 

何事もバランスが大事だ。 陰と陽。 を見てみぬ振りはいけない。

直視し問題点を自分で一度整理する必要がある。

そして得ているもの。 失っているものを自分で理解する事が大事。

 

自分の心の動きに久々に気付いてみる良い機会だ。

週に一日だけでもスマートフォンを持たない日を決めてみてはどうだろう。

 

自分の心は非常に面白く豊かであることに気付くはずだ。

 

友達とファミレスにいって、お互い向き合ってスマートフォンをいじっている姿、子供をつれて歩いている親がスマートフォンをいじっている姿。 電車を待つとき、信号を待つとき。 様々な場面で依存してしまってる。

 

あなたはそんな姿をどう思うだろう。

 

一度考えてみるのも、心の動きと接する良い機会ではないだろうか。

 

勇気はともにある

勇気を持ち続けることが大事です。

 

私たちには、もともと勇気がインプットされていました。

 

まだ赤ちゃんだった頃、まだ寝返りしか出来ないあなたは勇気をもって立とうとしたはずです。

 

少し大きくなった頃、あなたは勇気をもって滑り台をすべったはずです。

 

そしてブランコ。

 

そしてどんどん成長したあなたは、勇気をもっていろいろチャレンジしたはずです。

 

あなたは『勇気』とは認識せず、勇気を使っていたのです。

 

あなたは知恵がついた時から、駆け引きを始めました。

得かそうでないかを考え始め、知恵に勇気がどこかに追いやられ始めました。

 

今では『勇気』を使うのに、気合をいれないと使えなくなってしまっていることでしょう。

 

意識せず使えていたあの頃の勇気。

 

いまでは意識しても使えない勇気になってしまったのかも知れません。

 

でもあなたには勇気がともにあります。

あなたの勇気は、あなたが使おうと意識しなくてもあなたとともにあります。

 

あなたが一歩を踏み出せば、あなたの勇気も一歩を踏み出します。

 

勇気はあなたともに歩みます。

あなたは勇気を出す必要はありません。 だってあなたとともに勇気があるのですから。 あなたは一歩を踏み出すだけでよいのです。

 

怖くなったらこう思ってください。

 

『とりあえず一歩を踏み出そう』

 

そうすれば、あなたとともに勇気がそこにあります。

 

あなたが小さい頃に自在に使っていた勇気は、いまもあなたとともに歩んでいます。

失敗しても何も失わない。

失敗しても何も失いません。

 

もし自分が何かで失敗したら何かを失ったと感じることがあります。

 

でも人生の長い目線でみると、その失敗が以外や以外、人生の中の重要なパーツになっていることがあります。

 

『逆境に勝て』

『失敗は成功のもと』

『ピンチはチャンス』

 

など、ざっとあげてもこの真理を表現した言葉があります。

失敗する経験は、失敗する必要があったから経験したに過ぎません。 そこで失うものは一時的には何かを失った感じはしますが、実は引いた目線でみると何も失ってはいないことに気付きます。

 

私もリストラなどで職を失った経験があります。

そのときは物凄い不安と失望感、喪失感に襲われましたが、私はいまだに生きています。

職は失いましたが私は何も失いませんでした。

 

むしろその会社は今話題のブラック企業だったので、逆にいま思うとそれで良かったのかも知れません。

 

失敗の経験は、人生のターニングポイントの合図。

何かを得るチャンスです。

ブレークスルーしたその先に何が広がっているのかは、行って見ないと解りません。

 

失敗を恐れて何もしないより、自ら過酷な道に挑み突き進んでいく事が大事。

 

でも、無理は禁物です。

何事もバランスが大事。 バランスを失うと転落してしまうこともあります。

何事もほどほどに。

 

困難!?ステップ!?

物事を行うとき必ず出会うのが困難。

 

何かをやろうと決意し取り組んでいた矢先に突然不穏な空気が広がる。

この事は誰しもが経験した事があると思います。

 

なぜ、誰しもが経験する事が物事に挑戦する時に起こるのか!

それは、その物事に挑戦する気合と力量を測られているのです。

 

ここで後戻りしてしまう人は、そこまでの人。

困難があっても努力して前に進み道を見つける人。

 

実は困難と思える出来事はそれは、たんなる次へいくステップでしかないのです。

 

階段を登るためには、階段の段にあわせて足を上げないと登っていけません。 足の上げ方が不十分だったりすれば次の段へ上がれません。

 

物事に起こる障害や困難はこの次の段へあがるためのステップなのです。

だから物事を行っているときに困難にぶち当たったらこう思ってください。

 

『次のステップへ行く為に試されているのだ』と。

 

その先へは歩みを続けたものしかいけない領域があります。

 

困難は単なるステップでしかありません。

 

どうぞ進んでください。

 

 

気付く人、気付かない人。

世の中には気付く人と気付かない人がいます。

 

同じ出来事の中でも、気付く人と気付かない人がいます。

数年前に『鈍感力』という言葉が一時期話題になりましたが、気付いても都合の悪い部分をあえて気付かないようにする事も大事です。

 

気付いた場合は、そのこと自体を良く見極めて『良いことなのか』『悪いことなのか』を精査する必要があります。

 

気付かない幸せもありますし、気付いたからこそ進める幸せもあります。

 

私はどちらかというと気付いた上で自分で判断して物事を進めることが出来る人が良いのではないかと思います。