私たちは物質社会に生きています。
その中で精神性を身に着けていきます。 なぜ物質にこれだけ囲まれた世の中で精神性を身につけなければいけないのでしょう。
国によっては精神性をある意味、強制され宗教というなのもとに色々縛られている国もあります。
遠く昔は、十字軍の時代。
私達人間の歴史には、宗教の時代 → 産業革命後の物質社会 という流れがあります。
いま私たちは、物質社会から少しずつ精神性の社会へ移行しつつあります。 でもまだまだこの物質主義は続くでしょう。
イエス・キリストが誕生してから2000年経過している現代は、いま私達が生きているこの世界です。
人の変革は、非常に長いスパンのなかで価値観が変化していきます。
宗教の時代には、天動説があり地球は宇宙の中心で星や太陽が動いているという事がまことしやかに信じられていました。 そしてその時に地動説を唱えたものは、宗教の名のもとに異端児扱いされ弾圧されました。
いまでは誰もが、地球が回っていることを知っていますが当時は宗教的価値観や観測技術の未熟さから間違ったことが信じられていました。
そしてその中から宗教が支配する世界に違和感を感じる人達が沢山あらわれ、宗教の支配が終わり、いまでは物質の支配の世の中となっています。
現在の中国が一番身近で解りやすいですよね。 資源がある海を見つければ勝手に島を作って、『ここは昔から我が国の領土だ』と言い張る。 尖閣諸島の近くに地下資源が見つかれば、『そこは昔から中国の領土』だと言い張る。
根本にあるのは、資源と言う名の物質があるのです。
私たちは物質に踊らされているのです。 そしてそういう中から『何かが違う』と思う人達も多く現れてきました。
精神性の世界が広がってきているのです。 日本には『お互い様』という言葉があります。 苦楽を分かち合うと言う意味合いのある言葉。
私たち日本人は、昔から八百万の神を信仰してきました。 これは宗教ではなく精神性なのです。 地球上に存在するもの宇宙に存在する物の中に神を見出し感謝する心を持っています。
他の国ではなかなかこういう国民性はありません。 近いのはケルト民族の流れを組む人達です。
物質社会から少しずつ精神性の社会へ移行していく流れの中で、すこしでも『自己中心的』な考え方をする人が減っていくことを願います。
自己中心的な考えしか持たない人は、ジャイアンのように『お前の物は俺のもの、俺のものは俺のもの』的な思考しか身につきません。
年末になり師走です。
忙しいのは自分だけではありません。 他の人も同じく忙しい。
自己中心的な考えで過ごしては、他の人に迷惑をかけてしまいます。
実は先日、車を運転していたら一日に7件の飛び出しに遭遇しました。
5件は高齢者 1件は学生。 あと1件は宅配の人。
内訳は自転車にのって一時停止を止まらないで飛び出してきたのが5件。
車で一時停止を止まらないで飛び出してきたのは1件。
反対側に車を停めた宅配の人が、こっちを見ずに走って飛び出してきたのが1件。
一時停止を怠った人は、わざわざ道路に『止まれ』と書いてあるのに、それを無視し自己中心的な考えで飛び出してくる。 どんなに急いでいたのか、はてまていつも無視しているから習慣になっているのか?
そういう人はたまたま今まで事故に遭っていないだけで、いつそうなってもおかしくないのです。 実際先日も危ない瞬間がありました。 この国の法律では、相手が飛び出してきたのに、ひいてしまったらこっちのほうが過失割合が多くなるといういびつな制度があるので、本当に飛び出してくる人は迷惑です。(最近はドライブレコーダーなるものが増えてきたので、以前のようにひいたほうが一方的に悪いとはならないようです。)
もし自己中心的でなかったら、『この止まれを止まらなかったら他人とぶつかってしまうな』や『他の人に迷惑をかけてしまうな』と思うはずです。(それに近い考えをするはずです。)
この飛び出しだけは本当に危ないのでやめて欲しい。 止まれを止まれない(止まる考えがない)人は自転車や車を乗らないで欲しい。 それは何故かと言うと、他の人が巻き添えになってしまうからです。
自分さえ良ければいいのでは無いのです。
少し話がずれましたが、精神性とは他人の事を思いやる心を持ったり、何事にも感謝して生きれると言うことです。
物質から精神性への移行のなかで、少しでも多くの人が気付き自分を高めていって欲しいと思います。
気づいた人が増えた分だけ、世の中に幸せが増えていきます。
世の中に気付きが増えていくことを願います。