人には何らかの才能がある。
そもそも才能とはいかなるものなのか?
才能とはその人そのものを指す言葉ではないだろうか。
その人が存在するそして持ち得るものそれが才能なのだろう。
己の才能には自分ではなかなか気付きにくい。
むしろ自分には才能がないと思うことのほうが多い。
だが少し違和感を感じる。
『己の存在が才能』ならば、才能がないということは己がいないと言うことに通じるだろう。
と言う事は。
自己表現が才能に通じていく道なのだろう。
表現といっても何も言論だけではない。 アートもそう。 創造もそう。
いかなる分野でも自分を発揮できていれば良いのではないだろうか。
自分を表現することが才能に近づいていくのだろう。
ただ私はこう書いている今も『才能』という言葉に違和感を感じる。
はてまて、私にはいかなる才能があるのだろうか。
私には解らない。 才能がないのかもしれない。
でも私は存在する。 存在することは才能なのだとしたら、どこへむかっているのか。
私には解らない事だらけだ。
但し、ある人に言わせると違和感を感じる事について才能があるということだ。
私は、才能という言葉に違和感を感じるという事は、才能についての才能があるということになろう。
なんだか解らない世界に入ってきた。
私は文章を書くことに違和感を感じる。 なぜ不得意なことを続けているのか。 ただこれも才能のかもしれない。
才能についての理解は、時期がくればもっと理解が出来るのであろうが、今の私にはあまりよく解らない。
でも解らなくても生きていける。 生きていくことが才能であればまたそれもよしとしよう。
何事も続けていくことが大事。 生きていくこともそう。
才能という言葉は実に、私にとって不可思議な幻のような言葉である。