今日お仕事の移動で車を運転しているときに起こりました!!
片側一車線の幅の広いゆったりとした道路で見通しも良い道を走っていました。
時速50キロ程度で視界も良好、対向車も一台しか見えない状態でした。
青信号の交差点で私は直進。
信号も青、見通しもよし、前方には反対側を走る車が一台だけ。
なんの危険性もない状態で、私は信号を直進していると、その瞬間に!!!
なんと対向車が、私の車がいないかのように反対車線から右折してきたのです!!!
広い道路なので相手も50キロ程度で走行していたでしょう。
その状態からたいして減速したようすもなく、急に私の方に向かって曲がってきました。
この状態でぶつかれば、正面衝突!!。
衝突時、双方の車速を合算すると100キロで走ってぶつかった衝撃だったでしょう。
私は頭で考えるよりも早く、体が反応し急ブレーキ!!
車は急に止まれないという言葉通り、タイヤからは『キィ—————』と悲鳴に近い大きな音とともにとまろうとするが、止まらない。
どんどん相手の車が近づいてくる。
一瞬の出来事のなかで、クラクションも鳴らし続ける。 相手もやっと気付いてブレーキ。
でもやっぱり車は急に止まらない。
私の中の集中力が最大限に発揮されたのでしょうか。
相手の車の動きがスローモーションに見え始める。 自分の車のすべり具合、相手の車の挙動すべてがちょっとした安らぎのなかに包まれた感情のなかで手に取るように解る。
そして無意識でハンドルもコントロールし、あと数十センチのところであいての車をかわす。
そしてぶつからずにすみました。
この出来事時間は、1秒~3秒程度の出来事でした。
私は守られていると実感しました。
私を守ってくださっている方々が、一瞬ほんの数秒間の出来事のなかで最大限の援助をしていただいたようです。
本当に有難う御座います。
それにしても、道路もそうですが最近の傾向として、自分本位で自分さえ良ければよいと思い、周りや周りの人が良く見えていない人がいます。
今日のその危ない対向車も、私の事が見えてなかったのか、強引に曲がりたかったのか解りませんが、私の前にも後ろにも車は一台もいなかったので、私が通過してから曲がれば危険のリスクは無かったはずなのに、あの行動の意図が全く解りません。
私の車の後ろにも一台も車がいなかったことにも感謝です。
間違いなく、後ろに車がいてみんな50キロで走っていたならば、多重事故になったでしょう。
すべてが守られていたのですね。
有難う御座います。
Ms.マッスルさん、こんにちは。
最近、お仕事が忙しくてご返事が遅くなりました。
どうもすいません。
車を乗ると言う事は、それぞれの人が『意識なき殺人者』になる可能性があると言う事を熟慮し乗る必要がありますよね。
それぞれが意識し、くるまの怖さを認識してのれば交通事故はいまよりもずっと減ると思います。
車のような鉄の塊が、生身の人間に高速であたったらどうなるかは、みなさん容易に想像できると思います。
Ms.マッスルさんも怖い思いをされたようですね。
『自己否定』というキーワードが出てきましたが、徐々に自分と仲良くしていき自己肯定しても良いということに気付いてくださいね。
人間は、誰しもがこの世に存在する最高の存在です。
それを否定する必要は全くありません。
自分らしくそして自信をもち生活なさってください。
自信とは、一つ一つの出来事の肯定から生み出される物ですよ。
是非、否定を少しずつ肯定へマインドチェンジしていってくださいね。
(^^)
元気さん、こんにちは。
昨日は危険な目に遭われたのですね。ご無事で何よりでした。
ブログを読み終わって、涙が出そうになりました。
少し前に、私も同じようなことがありました。
私の場合は、二車線の道路で混み合う時間でした。
私は直進していたのですが、右折車が私の車にぶつかりたいかのように
曲がってきたのです。
私の車とぶつからなくても、後続車も隣の車線の車もたくさん走っているのにです。
びっくりしました。
おかげさまでぶつかることはありませんでしたが、
何が起きたのかわかりませんでした。
時間のたった今でこそ冷静でいられますが、
その時は、そんな状況でさえ、私が悪いんだとまず思ってしまったのです。
自分がどれだけ自己否定して生きているかを思い知った出来事でした。
これも気付かされるために必然に起きたと考えるべきなのでしょうが、
残念ながら、状況は変わらずです。
話が脱線してしまってごめんなさい。
元気さんは、間違いなく守られていると思います。
日頃の行いですね♪
本当に良かったです...。