才能

人には何らかの才能がある。

 

そもそも才能とはいかなるものなのか?

 

才能とはその人そのものを指す言葉ではないだろうか。

その人が存在するそして持ち得るものそれが才能なのだろう。

 

己の才能には自分ではなかなか気付きにくい。

むしろ自分には才能がないと思うことのほうが多い。

 

だが少し違和感を感じる。

 

『己の存在が才能』ならば、才能がないということは己がいないと言うことに通じるだろう。

 

と言う事は。

自己表現が才能に通じていく道なのだろう。

表現といっても何も言論だけではない。 アートもそう。 創造もそう。

 

いかなる分野でも自分を発揮できていれば良いのではないだろうか。

自分を表現することが才能に近づいていくのだろう。

 

ただ私はこう書いている今も『才能』という言葉に違和感を感じる。

はてまて、私にはいかなる才能があるのだろうか。

私には解らない。 才能がないのかもしれない。

でも私は存在する。 存在することは才能なのだとしたら、どこへむかっているのか。

 

私には解らない事だらけだ。

但し、ある人に言わせると違和感を感じる事について才能があるということだ。

 

私は、才能という言葉に違和感を感じるという事は、才能についての才能があるということになろう。

なんだか解らない世界に入ってきた。

 

私は文章を書くことに違和感を感じる。 なぜ不得意なことを続けているのか。 ただこれも才能のかもしれない。

 

才能についての理解は、時期がくればもっと理解が出来るのであろうが、今の私にはあまりよく解らない。

 

でも解らなくても生きていける。 生きていくことが才能であればまたそれもよしとしよう。

 

何事も続けていくことが大事。 生きていくこともそう。

才能という言葉は実に、私にとって不可思議な幻のような言葉である。

 

うまくいかない事もある。

一生懸命やっていてもうまくいかない事もある。

 

いままで順調に来ていたのに、突然悪い方向へ。

なんて事は生きていれば幾多の数あります。

 

結構ショックも大きい。

でもうまくいかない時は、何かを見直すサインなのかもしれない。

そしてうまくいかなかったときの為の準備が大切だと言う事も改めて痛感する機会でもある。

 

うまくいかないからって投げ出す必要もない。

やり続けることに意義がある。

 

でも間違ってはいけない。

あさっての方向へ努力してもうまくいかないばかりだ。

 

蕎麦屋なのに、ラーメンをだしたりコーヒーを出したりアイディアは良いかも知れないが、ちょっと考えてみよう。

 

『なぜ蕎麦屋にくるのか?』

 

そう蕎麦を食べたいからだ。

なのに蕎麦を極めようとしないで、目先をコロコロかえラーメンやコーヒー。

これではうまくいかない。

 

努力はしたのだろう。 でも努力の方向が間違っている。

このような例は、自分にも往々にしてある。

 

うまくいかないとき。

それは再点検の合図なのだ。 間違った方向へいっていないか。 努力は正しくしているか。

 

それに気付く自分がいる必要がある。

常にバランス感覚と冷静な分析力が必要だ。

 

うまくいかないときに、考えてみよう。

あなたには気づけるはずだ。

 

 

 

青空

青空をみると気持ちがいい。

 

とても高くとても透き通っている青空。

青空から見た地上はどうなんだろう。

青空は地上をどう思っているのだろう。

 

青空しか解らない事。

 

地上の人間から青空をみると、とても気持ちがいい。

白い雲が浮かんでいたり、雲が一つもなかったり。

観ているだけでなんだか幸せ。

 

青空はお金では買えない。

そしてみんなに平等に与えられている。

 

気付くか気づかないかは自分しだい。

青空はいつもそこにいるのだから。

あなたは今日の空に気付いたかな。

 

運がいい!?

運がいい!?

 

もし運をある程度コントロール出来るとするならばあなたは運をコントロールしますか?

 

運をコントロールする為にはまず感受性の受信感度を最大限に引き出す必要があります。

例えば、道端にある綺麗な花に気づいたり、大空の美しさに気付いたり、普段だったら見過ごしてしまうような事柄を、見過ごさずにしっかりと受け止められる自分が必要です。

 

普段気付けないことに気付ける自分まで感受性の受信感度が高くなれば、その都度の感動や喜びが運を引き寄せる原動力となります。

 

お花をみた

『わーきれい』

と思える心の状態。

はっきり言って運は、心が濁っている状態では発揮されません。 心が濁っているときは、周りの素晴らしい事に気付けず自分だけの世界に入り込んでしまいます。

 

もちろん運もその自分だけの世界に入り込むことが出来ません。 結果、運が悪い状態が続くのです。

運とは、外から来るものでもあり内から発するものでもあります。

 

自分から出すものが悪ければ、引き寄せるものも悪いもの。

つまり自分の波長をどれだけ高く維持できるかがポイントになります。

 

運を良くする為には、まずは自分の波長を良いレベルまで持ち上げる事が大事です。

どうぞ良い運を引き寄せてくださいね。

 

正面からぶつかる

正面からぶつかる。

人と人が接するとき、本当の関係を作る為には正面からぶつかる事が大事。

うわべだけの付き合いなら、小手先のテクニックでいい。

 

本当に人と向き合うなら、誠心誠意正面からぶつかっていき、自分がこういう人間であるという事を相手に示す必要がある。

相手も駆け引きなしにぶつかってくる人間を理解しようとする。 だから心が通じる。

デジタル空間には残念ながら、ぶつかるべき相手の像が見えない。

そして変な気を使い、時にはそれが争いの原因となる。

 

やはり正面からぶつかる為には、まずは環境が大事だ。

相手を正面に置き、自分の目で相手を見なければいけない。

そして相手と呼吸を合わせ、相手と場を作っていく。

それが本当の心と心の伝わりとなる。

 

相手のことや自分の事を本当に理解してほしいならば、直球で勝負する必要がある。