許し

全ての事を許す必要があります。

 

自分の中で許さない限り、それは負の感情として自分の中に永遠に残ります。

 

許しとは、自分の中の負の感情を呪縛から開放してあげる事なのです。

 

許しなき所には、憎しみ、苦しみ、困難が何時までも残ります。

 

許しあるところには、慈しみ、楽しみ、幸せが宿ります。

 

許しは開放の道でもあり、幸せの道でもあるのです。

 

『全てを許し、あるがままを受け入れよ』

 

 

カオス理論

カオス理論と言うものがあります。

 

何かの変化の前には混沌とすると言うものです。

 

人間の一生には『もうダメだ立ち上がれない』と思う時が必ずやってきます。

 

それも一度だけはなく何度もやってくる時もあります。

 

一度経験した事がある人ならもうすでに解っていると思いますが、その山を通り過ぎたときには『新しい価値観』を身につけています。

 

貧乏を経験した人は、お金の価値観。

 

人間関係で苦労した人は、人間関係の価値観。

 

それぞれその人なりの新しい価値観を身につけています。

 

カオス理論とは『変化の前には必ず混沌とする』と言う事を表しているのです。

 

もしいまとても大変な状況にいる方、困難な状況にいる方がいるならば

こう思ってください『新しい変化の兆しにいまいるんだな』と。

 

『人生山がありゃ、谷もあるさ』

 

谷底についたのなら、あとは登るだけ。

落ちるところまでとっとと落ちて、底についたらあとは登るだけ。

 

底に気づいたら安心して登ってください。

 

そこにはきっと新しい景色が広がっていますよ。

 

 

エネルギーの奪い合い

人付き合いは、実はエネルギーの奪い合いをしているようなものです。

 

人は相手から優位に立つために、小さな頃から培った『技』を使い相手からエネルギーを奪って生きています。

 

たとえばこの『技』の代表的な4パターン

 

1 : 威圧的態度に出る

2 : 黙って相手の注意をひく

3 : 質問攻めにする

4 : 被害者になる

 

誰しもがだいたいこの4つのパターンを駆使し相手からエネルギーを奪おうとします。

 

例えば、身近な存在の親を見てみると解りやすいかもしれません。

 

威圧的態度に出る親、質問ばかりする親、黙って相手から物を言うのを待つ親、全ての被害者になって自分の不幸さを売りにする親などがいます。

 

これは人間として至って普通の親子間のエネルギーの奪い合いを演じている結果なのです。

 

ただし、ここに過度に巻き込まれたらたまったもんではありません。

最悪の場合、『自尊心』をへし折られ奪われ抜け殻のようにされかねません。

 

自分に自信がない人は、威圧的な態度に出る親に育てられたのでしょう。

 

黙って注意を引きタイプの人は、過保護の親に育てられたのでしょう。

 

色々な原因と結果の法則があります。

 

ただし、ひとつだけ言えることはこの中の演じる事をやめ、エネルギーの奪い合いやめ内なるエネルギーに気づきそして結びづきを高める必要があるのです。

 

ヨガ、スポーツ、内観などは内なるエネルギーに気づくのに有効です。

 

その他にも色々なモノがありますが、大事なのはエネルギーを他人から奪わなくても満たされている気分を維持できるようになることです。

 

うばい合えばなくなり、わけ合えば足りるのです。

 

エネルギーも満たされ分け与えることで、人とあっても脱力することなく高め合う事が出来るようになります。

 

 

全ては必然

身の回りで起きる出来事それは全て必然です。

 

何一つ偶然に起きているものはなく、全て『起きる必要があるから起きている』のです。

 

さぁ、いまおきている身の回りの出来事、困難。 

その中にはどんな大事なメッセージが込められているのでしょう。

 

すぐ気づける時もあります。

 

でも気付くのが何年か先になる事もあります。

 

ただ全ては一番ベストなタイミングで起きていると言うことだけは間違いありません。

 

ベストなタイミングで起きている事に気づかなかったり、見逃していたりすればきっとその出来事の意味に気付くのには時間がかかるのでしょう。

 

ただ気づけなかったとしてもその出来事に『起きてくれてありがとう』という気持ちを持てれば、それは生きた経験になります。

 

『なんでこんな事ばかりおきるのか』と被害妄想に包まれれば、曇ったメガネをしているかのように全てが見えなくなるでしょう。

 

感謝の気持ちを忘れずにいれば大丈夫です。

 

全ては必然。

 

 

想像できること

想像できることはすべて実現可能です。

 

人間が想像出来ること、それは全て実現可能です。

 

私たちが想像出来る時点で、可能性はすでに0%ではありません。

 

可能性がある限り実現可能です。

 

例えば、東京のビル全てにソーラーパネルを取り付ける事もきっと可能でしょう。

 

ガラスのように透明で光を透過するソーラパネルなんてものも出来るかも知れません。 家のガラスが全て発電出来るガラスになったら素晴らしですね。

 

なんて風に想像出来ればきっとそれは可能性は0%ではないのです。

 

携帯電話も昔は夢物語でした。

 

いまのスマートフォンなんて20年前からは考えられないアイテムが現実になっています。

 

全ては誰かが想像しそれを現実にしようと思ったから、携帯電話、スマートフォンがいまこの世の中に存在しています。

 

ひとりひとりの想像がやがて大きな力になっていくのです。

 

夢もそうです。

 

夢は夢であるから夢なんだではありません。

 

夢を夢と決めつけているから、夢で終わってしまうのです。

 

もし想像できたのなら、諦めないで最良を尽くしていけばそれは現実のものとなる可能性があります。

 

日本女子サッカーもワールドカップで優勝しました。

 

それも彼女らがひたむきに想像(ワールドカップ優勝)し頑張ってきたからです。

 

想像できることは実現可能なのです。