最近、世の中に争いがはびこっている。
争いは争いしか生まない。
なぜ、この事をしっているのに争うのか。
争いの中で尊い人命が失われることもある。
なぜ、争いの中で命を落とさなければいけないのか。
今の世の中は
人を導くはずの宗教が原因で、争いが起こっている。
人を導くはずの国が原因で、争いが起こっている。
人を導くはずの経済が原因で、争いが起こっている。
なぜ、そんなに争うのか。
なぜ、そんなに争いが好きなのか。
争いが好きだというと、語弊があるが、ではこう言い換えよう。
なぜ、争いを利用するのか。
国をまとめる手段として争いを利用する。
国の不満の矛先を変えるために争いを利用する。
もう同じ過ちはやめなくてはいけない。
過去に、ヒトラーと言う人物がいた。
ドイツは疲弊していた、国民もなんともいえない閉塞感を味わっていた、そんな中で英雄を望んだ。
それがヒトラーと言う人物だ。
当時のドイツでは彼は英雄だった。 彼が何かを変えてくれると国民は思った。
そして彼は行動した。
ユダヤ人を迫害し、隣国を襲った。
他の国からみたら、彼は悪魔のような存在だった。 でもドイツのなかでは英雄だった。
今のこの地球上の国にその事を置き換えると、沢山の過去のナチスドイツのような国が存在する。
他国の領土を自国の領土だと主張し奪おうとする国。
自分の論理に逆らう者を、たとえ自国民だとしても銃器を向ける国。
自分と違う宗教を信仰しているというだけで、異教徒だと言い争う国。
もう解っているではないか、『争いは争いしか生まない』と言うことを。
この地球をみてごらん、国境なんて線はどこにもないのだから。
そのことについてそろそろ考えてもいい時期なのではないか。
なにも国のことだけではない、同じ学校、同じクラスにいる兄弟。
会社にいる兄弟、社会にいる兄弟。
争う必要はないのだ。
私たちは、この地球に産まれた兄弟なのだから手を差し伸べ支えあう必要がある。
愛をもって接すれば、解決する方法は幾多に見えてくるだろう。
あーちゃんさん、こんにちは。
お仕事前にサイトをのぞいて頂いて有難う御座います。
宗教でお困りですか?
宗教の本質はとても良い物ですが、それを営利目的に使用する人間がいるため色々なトラブルがありますね。
そもそも神様は何処にでもいます。
その宗派や場所などは関係なく、いまあーちゃんさんとともに存在しています。
その事をご理解頂ければと思います。
>ただ自分の心に正直に正しいと思うことを見つめなおそうと思っています。
とても素晴らしい事だと思います。
こんにちは。
いつも朝仕事を始めるときに元気になる言葉をいただき感謝しています。
コメントの中で宗教の話が出てきていますが
私も今同じような状況に陥っています。
神様を否定してないのですがその周りを取り囲む人間の欲や権力に対し
とても疲れてしまいました。
争いで分裂が生まれお互いが善悪を求めさらなる争いが生まれ・・・。
ただ自分の心に正直に正しいと思うことを見つめなおそうと思っています。
みけさん、こんにちは。
コメントありがとう御座います。
『世界中で 愛が溢れ 平和を めざす世界が 始まると思います。』
とても素晴らしい考えだと思います。
ひとりでも多くの人がそう考えれば、きっとその方向へ向かっていくと思います。
一人ひとりの心がけ。
まずは自分からですよね。
私もそのひとりになりたいと思います。
有難う御座いました(^^)
とぷぷさん、こんにちは。
色々あられたようですね。
ただ一つ。
『意味のないことは何一つありません。』
この事をお伝えしたいと思います。
物事に善悪はなく結果でしかありません。
その結果を自分でどう理解し、どう消化していくかが大事かなって私は常々思っています。
『喧嘩』と『いじめ』は仰るとおり、似て非なるものですね。
私個人的には、ゲームなどバーチャルな世界が広がりを見せ、その中で人の心を理解せず成長し体力が付いた子供たちが、自分の力の制御を欠いているように思えます。
子供を黙らせるために小さな頃から安易にゲームを与えた社会・親の結果が今に繋がっているのではないかと思います。
自分の行為にリセットはないと言う事を、大人がしっかりと伝えなければいけないと思います。
『人には愛を持って接しないさい』
この言葉をしっかりと言え、体現できる大人が増えれば、子供はもっと安心して暮らせるようになると思います。
不安だから力を誇示したい、不安だから何かをつるし上げまとまりたい。
不安だから反発をする。 不安だからいらだつ。
愛の充電不足の子供達を救うのは親ですよね。
有難う御座いました。
ここは、凄く 心 落ち着いて 色々教えていだだいて、大変 感謝してます。
もう きっと 世界中で 愛が溢れ 平和を めざす世界が 始まると思います。
そうなることを 祈ってます?
コメントのお返事ありがとうございます。
私も神様の存在(愛)はあると思っています。ただ、そのものの表現が難し過ぎてできないだけなんです。
共感して頂いたなんて、正直 めっちゃ嬉しいです。
こんな話をすると、変わり者のように見られる事が多いので、コメントするのにちょっと不安がありましたが。
私も無宗教です。
幼い頃に、ある宗教に家族毎が巻き込まれボロボロになりました。
物心ついた時から、信仰宗教というものが、物凄く嫌でした。
お布施代わりに土地を持っていかれ、借金地獄の家庭からお布施を持って行く 有り得ない事が沢山ありました。
誰の心も救われてなどいませんでした。
その宗教が学校を作りスポーツで有名になどなると、とても恐ろしいと思いました。
「頑張っている選手の方々には申し訳ありません」
愛で施す事が基本ではないのか・・・苦しんでいる人を心で救うのが本来ではないのか、お金を積んだ分幸せが手に入るなんてありえない・・・・逆に醜くなっていくではないか・・。
などと、小さな頃から思ってきました。
そんなこんながあって、神と名のつく者に何か抵抗があるようです。
今は、何とも伝えにくいのですが ただ漠然と人間では計りしれない何かが神の存在としているのであろうと感じているだけなのですが。
よく、子供に言います。「ケンカ」と「いじめ」は別なんだよ、と、ケンカはから学ぶ事は沢山ある、反省して進歩する事もある、意見の違いを理解しあう事も生まれる、許す事も学ぶ。
けれど「いじめ」は人を傷つけ追い詰める、そして「いじめ」をしている側は心の痛みを感じずにエスカレートして行く、不の連鎖です。
この「いじめ」に似た状態で政治が動き、世界が巻き込まれているように思えるのです。
子供の世界の「いじめ」は世の中が作り出したものだと思っています。
すいません、ついつい長々とネガティブな文章をかいてしまいまして、共感して頂けた事についずにのってしまいました・・・・お許しを
私の趣味は「笑う・食べる・しゃべる」といつも履歴書にかきます。
つながらない流れになりましたが・・・元気さんの言葉が世界に広がりますように、そして沢山「ありがとう」ございます。