不登校と言うことを耳に!!

最近、不登校と言うことを耳にする事が多いです。

私が運営する掲示板をはじめ、今日はいつも行っている熱帯魚屋さんでもその話題を耳にしました。

今日、たまたま耳にしたのは、店長の奥さんとお客さんできている小学校の先生の会話です。

店長が一人でやっていて、大きいとはいえない位のお店なので全ての会話は筒抜けです♪

だからアットホームなお店なんですけどね。

もう10年近く通っています(^^)

それは置いといて『不登校』なのですが、最近は幼稚園児でも不登校がいるらしいです。

時代が変わったのですかね。

私が小さい頃は、流石に幼稚園で不登校と言うのは無かった気がします。 せめて小学校生位ではなかったでしょうか。

私が小さい頃と言うか、私、自身もなんか学校に行きたくないなって事もありましが、私には不登校になる環境がありませんでした。

正確には私の家にはという感じです。

私の家というか、私の母は『肝っ玉母ちゃん』を絵に描いたような人です。

私が気分が優れず(ズル)で学校を休もうとしてもいつも『学校に行ってから駄目だったら帰ってきなさい』と言う調子。

熱が38度あっても『学校に行ってから駄目だったら帰って来なさい』といつもその調子だったの、はっきり言って病気でも学校に行っていました。

学校をほぼ休めなかったです。

熱が39度位あった時は、一時間目の授業が終わってノックアウトされ家に退散した事もあります。

私は、そういう風に育てられたので社会人になってからも熱が39度あっても会社に行っていました。

そういう風に育ててもらって本当に有難いなって今では思います。

当時は熱があっても学校に行けという母を『鬼?』とか思っていましたけどね(^^)

どんなに調子が悪くても、学校に行くことで精神力と忍耐力を鍛える事ができました。
そして全ては心の有り様で調子が悪くても、良くすることが出来ると言うことも学びました。

心、メンタルの有り様は、全ての生活のうえで非常に重要であると言う事を成長の過程で学ぶことが出来たからこそ、いま私は『HAPPY?元気.com』と言うサイトを作れているのだと思います。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は高校一年生の時に心臓病に掛かり、『運動はしていけない』などのお医者さんから言われていました。

初めのうちは『皆と同じ事が出来ない』と言う疎外感を感じながらも、学校に行っていました。

でも心、メンタルの有り様で全てを克服し、病気も普通の生活に支障が無い程度まで回復しました。

その時、母は内心はとっても心配していたとは思いますが相変わらずの『肝っ玉母ちゃん』で調子が悪くても『学校に行ってから駄目だったら帰って来なさい』と学校を休むことは許されませんでした。

母は、社会の厳しさを身をもって経験した人だったので、社会に出てからも一人で歩んで行けるようにと言う考えを持っていたようです。

そんな環境で育てられた私が思うのは『不登校』『ニート』など様々な問題が現在の社会にはありますが、今日、明日、自分たち両親がこの世からいなくなっても子供が一人で生きていけるように、日々接して上げてくださいと言う事です。

家事の手伝いもそうです、勉強もそうです、人との接し方、物事の考え方、すべて自分たちが持っている知識を子供に教えてあげて下さい。

言葉で教えるのもそうですが、体験させて経験をつませて上げてください。

そういった事をしていないからご飯を炊くとき『米を洗う』という事をするとき、『洗う』と言う言葉だけを受け取って、洗剤で米を洗ったという若者もいるそうです。

普通だったら考えられないような事ですが、経験していないから出来ないのです。

知識、経験させることは親しか出来ないのです。

現代は共働きが多くなってきています、そして私も小さい頃はそのような環境でした。

でもしっかりと親の背中は見ていました。

大変そうだから、自分の出来ることは手伝っていました。 料理の手伝いをしたり、食器を洗ったり、それもなぜ出来たかと言うと、料理の仕方、食器の洗い方など教えてくれたから、手伝うことが出来たのです。

まずは色々な事を教えて上げてください。 そして経験させてください。

より良い子供の未来の為に。

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2 Replies to “不登校と言うことを耳に!!”

  1. ゲラ子 さん、こんにちは。

    コメントありがとう御座います。

    >それをしたくてもできない状況もある人もたくさんいることだけは理解していただきたいです。

    これは私の読解力では、何を指されておられるのか、私には理解出来ませんでした。

    私は、この記事を書いたときは自分の体験談を書いているだけなんです。 『親の背中を見て育ったこと』と、希望として『子供に機会』を沢山与えて欲しいと言う事です。

    親が先回りして何でもやってしまい、子供の機会を積んでしまうことが良く見聞きします。 子供にやらせると時間が掛かるし、自分たちでやった方が早いのは解ります、でも『効率』だけをとって子供に機会を奪ってしまうと、『考える事』や『経験』が不足してしまう事に繋がっていきます。

    子供にやらせると『イラッ』としたりする時もありますが、それも大人の成長の為、我慢我慢。

    子供を育てながら親も成長です。

    もちろん、色々な性格の親や、お子さん、また様々な境遇の人がいるのは承知しています。

    あと、この記事では『不登校と言うことを耳にして』とは書いてありますが『不登校が悪い』とは一言も書いておりません事を付け加えさせていただきますね。

    私は事あるごとに『意味の無いことなんて何一つ無い』と言うことを書かせていただいております。 それと『無償の愛』についても。
    そして『道は一本ではない』と言うこと。

    この事のベースは、私が社会に出てから身につけたことではなく、だいたい高校生位までに身につけた考え方です。 だからこの記事を書いたときには、今の私となんら変わらない『方向性』を持った人間として書いています。

    但し、表現力・文章力はやはり年齢を重ねたほうが精査されていくと思います。 同じことを伝えるにも『使う言葉が違う場合』もあります。

    私の文章のいたらなさが、どこか誤解をあたえてしまったのですね。

    でも私は『自由に受け取っていただいて良い』と常々思っています。 皆さん、性格や境遇は様々ですから『私がこう伝えたい!』と思うことが、10%も伝わらないなんて事は往々にしてありますし、それを理解しています。

    だから私は『何かを考え、気付くキッカケ』になれば良いと常々思っています。 拒絶するもよし。 何かを考えるも良し。 何も考えないもよし。 

    『不登校』という文字を見て、その言葉のエネルギーによってある一定の方向性によって理解してしまうことも、私は『善いとも悪いとも』思いません。

    良く、『木をみて森をみない人』『森をみて木を見ない人』の話がありますが、同じものを観ても人それぞれ物を見る角度が違うのですからね。 

    一生懸命頑張っていても上手くいかない。 手詰まりだと思える状況でも、道は一本ではありません。 道は自分(達)で切り開いていくものです。 決して与えられるものは無いことを最後に付け加えさせていただきます。

  2. いつも共感しながら、感動しながら、元気をいただいてる一人です。
    でもこの記事がふと目に止まり、それをしたくてもできない状況もある人もたくさんいることだけは理解していただきたいです。
    発達障害や、性格や、子どもたちもそれぞれ、親もそれぞれ。
    なのですから。
    不登校で辛いのは本人です。
    いじめのない世の中を望みます。
    古い記事なのでまた変わってたらすみません。
    偶然見つけてしまったもので・・・。

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