人生とは大胆な冒険か無かである。
人間は、このよに生を受けそしてしに向かって生きている。
死ぬために生きているとも言えよう。
死に至るまでの間に、己が何をしたか。
それが幸せに繋がる道ではないだろうか。
何もしなくても時は過ぎていく。
毎日同じことを繰り返し、何も考えなくても過ぎていく。
これは『無』なのかもしれない。
同じ時の中をチャレンジしながら進んでいく道もある。
それは冒険かもしれない。
そう大冒険だ。
自分には無と冒険を選ぶ自由がある。
どうせ同じ時間を過ごすならば、どちらを選べばよいか。 自分が選ぶべきなのかは自分のなかに答えが出るだろう。
人それぞれ価値観が違う。
『無』が幸せと思う人もいよう。
『動』が幸せと感じる人もいよう。
人生は大胆な冒険か無か。
あなたが選べば良い。
元気さん、ありがとうございます。
諦めないことの大切さは感じています。
逃げたらダメ、同じことの繰り返し...と自分に言い聞かせ、
陰口をたたかれて疎まれ、居づらい環境ですが、
これも自分の言動が引き起こしたことなので、
精一杯誠意を見せようと思っています。
卑怯で意気地なしの自分から脱却したいです。
出来ることをコツコツ続けます。
Ms.マッスルさん、こんにちは。
いろいろと長い人生ありますよね。
人生はよい時と悪いときの繰り返しです。
よいときは流れでどうにでもなりますが、悪いときはいろいろな問題が表面化しいろいろな事に気付かされます。
だからといって『悲劇のヒロイン』になる必要はなく、今与えられた状況で自分にできることをやっていくしかないと思います。
以前から私が事あるごとに提唱している。
『昨日の自分より、1mm前を目指す』事です。
なかなかうまくいかない事を悲観的に捕らえるのではなく、どうやったらよい方向へ行くのかを自分なりに考え、挑戦し、そして歩んでいく。
これは無ではなく大冒険です。
大冒険とは、なにもアグレッシブな行動のことではなく、挑戦し続ける自分の事です。
無とはあきらめた自分とも言えるかも知れません。
いろいろある事とは思いますが、前を向いて歩んでくださいね。
元気さん、こんばんは。
元気さんは冒険を選ばれますか?
私はつい無を選びがちです。変わらないことの安心感を選択してしまうのだと思います。
世間や私の周りの人たちは、アグレッシブなことを良しとし、そうではないことを評価しないように感じています。
私はアウトドア派ではないし、大勢で行動することはどちらかというと苦手です。例えばバーベキューなどに誘われると、楽しそうだけど断りたいと思ってしまいます。
時々これではいけないと冒険を選ぶと、勘違いで大失敗というパターンが多いです。
慣れていないと言うか、空気が読めないと言うか、それで益々冒険を避けてしまいます。悪循環ですね...。
それから先日の「なかなか復活しない...。」ですが、確かに新しくなってから検索しにくくなっていると感じていました。今まではすぐにヒットしていたので必要無かったのですが、今日、丁度お気に入りに入れたところです。
それから先日「素直に表現」でコメント頂きありがとうございました。
どうも淘汰されてしまうのは私のようでした。
私は子供の頃からおかしなことをして学校中或いは会社中の噂になって、登校または出勤しにくくなるということを繰り返しています。
今頃気付くのはあまりにも遅いと思うのですが、どうも発達障害のようです。
漢字や言葉に関することが得意でIQは高いのですが、道を覚えたり何かと何かを関連付けることが苦手で、よく迷子になりますし、一度聞いたこともそれを記憶の引き出しから引っ張り出してくることが困難です。
会社を辞めなければいけないのかなと感じています。
地域に発達障害の相談センターがあることを知ったのですが、相談したところでアドバイスを頂けても治るわけではありませんものね。
混み入ったことですみません。
でも何とかして子どもたちは守らなければ...!