愛を忘れない

愛を忘れない。

 

隣人は生きている。

隣人には人生がある。

 

そして私も生きている。

 

お互いにはお互いの道があり。

お互いにはお互いの思考がある。

 

隣人を最大限に尊重しそして愛をもって接する事が大事。

決してデジタルのような、0と1の世界ではない。

白黒をハッキリさせるようなものでもない。

 

人と接するときは、愛を持って接して尊重と理解を忘れないように心がける必要がある。

 

あなたがもし愛をもって接する事ができれば、やがて隣人もあなたに対して愛をもって接するようになるだろう。

 

あなたは影響力を持っている。

その影響力を使うか使わないかはあなたの自由である。

あなたは元々愛の存在であることをどうか忘れないでほしい。

 

高校野球

今は高校野球真っ只中。

 

きっといろんなドラマが繰り広げられているのでしょう。

私の故郷の山形県代表の日大山形。

 

本日の試合勝ったようです。

山形勢はじめてのベスト4。

素直にすごいと思います。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130819-00000032-mai-base

 

高校野球で山形といえば、いつも大敗を喫するのでハッキリいって高校野球ではあまり期待していませんでした。

ほとんどが、初戦敗退。

 

それなのに今年の日大山形はがんばってくれました。

同県人として素直に嬉しいです。 初めての快挙。

 

次もベストを尽くした試合をしてもらいたいです。

怪我がないように無事に。

 

私が高校生の頃も私の母校の野球部が甲子園に出場しました。

私はその頃心臓病を患っていましたので、病院の休憩室のテレビでおじいちゃんたちと試合を観ていたことを思い出しました。

 

高校野球とは青春のドラマ。

若い力と希望がそこに広がっている感じがします。

 

高校野球ファンではありませんが、故郷の代表が頑張ってくれていることに素直に喜びを感じ、応援したいと思います。

 

油断

油断は思わぬ事態を招く。

 

いつもと同じだからといって、気を緩めて物事に取り掛かるととんでもない事が起こることがある。

人間の気の緩み、それはネガティブを引き寄せる一つのキーなのです。

 

いつもやっているから。

いつもとおなじだから。

 

と気を緩んで物事に携わると必ずどこかに落とし穴がある。

いつも繰り返しやっていることこそ、細心の注意を払って行う必要がある。

そうすることでその事のクオリティがあがっていく。

 

油断は禁物。 起きてからじゃ取り返しがつかない。だから常に細心の注意を払っておこう。

 

自分の論理とルール

自分の論理とルールには時々相違点が発生する。

 

先日見かけた光景。

 

おじいちゃんが自転車で左側通行をしていた。

おばさんが右側通行で自転車で走ってきた。

そこは狭い道だった。 車も沢山いた。

おじいちゃんとおばさんは、鉢合わせになった。

 

おじいちゃんは

『自転車は左側通行だぞ!!』

おばさんは

『あんたがどけばいいのよ!!』

ちょっとした小競り合いだ。

 

おじいちゃんの論理は

『左側通行をして自転車をのっている俺が正しい』と思っているのだろう。

おばさんの論理は

『道路はみんなのものどっちを走ろうがあたしの勝手でしょ』

 

そういった所だろう。

おじいさんは『交通ルール』にしたがって正しい通行をしている。

おばさんは『交通ルールを無視』して自分のルールで通行を行っている。

 

普通であれば、おばさんに良心の呵責がありおじいさんに道を譲る行為が必要だ。 だが小競り合いになった。

おじいさんも『正当な事をしているのに噛み付かれた』ので、むきになって反撃する。

 

あまりいいものではない。 絶対的に足りない価値観があるそれは『ゆずりあいの心』だ。 譲り合いの心があれば小競り合いにならないで済んだはずだ。

 

よく言うことがある。

それは『自分の常識は非常識だ』ということだ。 自分が普通だと思っていることそれが非常識な事もある。 常に固定概念を持たずルールに従っていたとしても、その中からベストな選択を心がけなくてはいけない。 それが人と人の関係では重要だ。

 

いまエジプトではそれぞれの論理が衝突し、多くの尊い命がなくなっている。 そもそも戦争は論理のぶつかりあいである。

日本も韓国や中国の論理で攻撃されている。 もちろん日本の論理があり立場もある。 これが過剰になると戦争を招きかねない。

 

まずはお互いがルールを守った上で、論理を選択する必要がある。 そしてまたお互いが主張することを理解をしそのうえで解決策を模索しなければならない。

 

無用な争いは、憎しみや悲しみ憤りや怒りしかうまない。 論理を政治の道具にしてはいけない。 ナチスドイツは、ヒトラーを筆頭とする論理で世界を恐怖に陥れた。

 

ルールを守らない身勝手な論理は争いの元になる。

国の問題もそうだが、まずは一人ひとりがしっかりと『自分の常識は非常識』という立場に立ち返り、良い行動・選択を心がけていけばよい未来が広がっていくでしょう。

 

自分の論理とルールを再点検する時期なのかもしれませんね。

 

暑い

なんだか暑い。

 

やっぱり日本は亜熱帯気候だったようだ。

温暖性湿潤気候と確か習った。

でもいつのひからか、夕立ではなくゲリラ豪雨が降るように気温も35度以上になる日もしばしば。

これは間違いなく亜熱帯気候だ。

スコール=ゲリラ豪雨

 

さてさて、熱中症で数年前と昨年倒れた熱中症エキスパートの私。

今年は、どう過ごしているかというとあまり気にしていない。

 

確かに熱中症は怖い。 ただ昨年は熱中症予防のために積極的に水分をとっていた。 だがなった。 一日の水分の摂取量は3リットル程度。

それでもなる。

 

一度なると癖がついて熱中症になりやすいとの事。

 

それならば気にしすぎても、精神から影響がでる。 今年は、普通に毎日水分摂取量は2リットル程度にしている。 いたって快調。 だが油断は禁物。

車での移動中は、エアコンの温度はとても意識して調整している。 寒すぎず、暑すぎずだ。

あまり寒くしすぎると、外気温とのギャップで体が疲弊する。 余分な負荷を減らすための対策だ。

それで今年は、熱中症を予防している。

 

だがひとつ問題が。

それはパソコンをおいている我が家の部屋。

エアコンがない。

気温計はいつも32度以上。 時には38度を超えているときも。

パソコンの廃熱は予想以上に高い。

ソフトで見るとCPU温度MAX65度前後。 GPU温度MAX79度前後で推移。

これは部屋が暑くなるわけだ。

もうこの暑さを少しでもどうにかするために、私は考えた。

『そうだこれを口実に、パソコンを作り直そう』と。

 

早速、CPU、マザーボードを購入。 そしてCPUクーラーは今まで空冷だったが水冷に今回してみた。

 

CPUは省電力、小発熱の Core i7 4770S。

マザーボードはスロット1150が必要なため買い替え。 昔のようにスペック重視ではないので、今回は手ごろなギガバイトのGA-H87-D3H。

CPUクーラーは、ZALMANのReserator 3 Maxをチョイスしてみた。

 

そしてグラフィックカードは、今回は乗せずにCPU内臓のグラフィック機能を使用することにした。

これでグラフィックカード分の79度の発熱の抑制と100W近い消費電力の削減を達成した。

これでパソコンからの廃熱が下がり、多少は室温の上昇を抑制できるようになった。(はずだ。)

 

そんな感じで暑いせいで予期せずアベノミクスに貢献してしまった。

 

完成したパソコンはこんな感じ。

 

101_5431

 

自己満足の世界。