人生のシナリオ

人生にはシナリオがある。

 

このシナリオには、大まかなストーリーが書かれている。

但し、その中のシーンを演じるあなたには、シーンを演じる自由と選択の権限が与えられている。

 

過去もあなたの中では経験しなければいけない過去だったのだ。

だから後悔する事もない。 全てはストーリー通り。

 

ストーリー通りに進行しているのだから、必要だった物。 だから一切の振り返りや後悔は必要がない。

 

それは今に繋がっている道だったからだ。

いまココにいるということは、過去のシーンを気にするために存在するわけではない。

 

いま現在、まさに今。 与えられたシーンを自由に演出し選択する為にいる。

 

これは紛れも無い事実だ。

全てはストーリー通りに進んでいるのだから、安心して進めばよい。

 

ストーリーは、大まかにしか決まっていないのだから、最善を選択し進めばよい。

 

遠慮は要らない。 あなたが思うとおり自由にしてほしい。

だってその為に存在しているのだから。

 

あなたのストーリは今現在も進んでいる。 そしてあなたが次のドアを開けるのを待っている。 一番よいストーリを選択してください。

 

 

ベストを尽くせばよい

ベストを尽くせばよい。

 

この世の中に完璧なものなど存在しない。

完璧なものつまりそれは永遠であり、一つの存在である。

 

物質社会には残念ながら完璧なんてものはぞんざいしないのじゃ。

ただ、己の力を思う存分発揮すればいいじゃろう。

 

いまの言葉でいうとベストを尽くす。

それで良いのだ。

 

そのときにより、体の不調もあるだろう。 精神的に乗らないときもあるだろう。

その時々に応じ背伸びせずただ、自分の力を発揮すればよい。

 

決してそれ以上を求めてはならぬ。

それ以上を求めるとそれ以下になる。 その時の己の力を思う存分発揮すれば、己の思うよりすごい力を発揮するじゃろ。

 

完璧などはもどめず。 ベストを尽くせばそれでよいのはないかな。

 

己の中にはそれ固有の力がある。 上手に引き出せばよい。

自分を信じればよい。 己が思うより底知れぬ力があるものじゃぞ。

 

今日はこの辺にしとこうか。

また機会があれば。

 

 

ちょっと上がり過ぎではありませんか!?

ちょっと物の値段が上がりすぎじゃありませんか!?

 

昨年の年末に『物価上昇率2%』を目指すと、いまの総理大臣がいい日銀総裁も足並みを揃えた。

一般的には、『物価が2%上昇か』と言う意味で捉えられていたが、実は違う。 物価上昇率が2%上昇と言うことは、末端価格つまり我々消費者レベルでは、15%~30%程度の物の値段の上昇と言うことになる。

 

それと円安とのあわせ技。

つまり、輸入品が高くなりなおかつ物の値段も上がると言う事である。

 

次にこのグラフを見てほしい。

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このグラフは、ある商品の値段の推移である。

去年の年末2500円前後だったものが、今現在は7000円を超えている。 なんと物の値段が3倍近くに跳ね上がっているのだ。

これはパソコンの部品なので、円安と物価上昇とメモリー業界の動向の影響だ。

日本代表のエルピューダもメモリーでは大苦戦している。

 

それにしても、この値上がり幅は15%~30%の範囲ではない。

次に、私が買おうと目論んでいたディスプレイの価格。 私のパソコンのディスプレイは10年選手の為、そろそろ変えようと思って価格をチェックしていた。

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一番安いときは27000円台まで値下がりした。 ところが最近メーカーが、中身は同じものを輸入原料の高騰を理由に商品名を変更して発売した。

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現在価格は39000円程度。 つまり1万程度の値上がりである。

こんなに一年足らずで急激に物価が上昇してしまうと庶民には大打撃だ。 これは先行している分野の話だが、そのうちに各分野にも波及していくであろう。

 

給料は一銭も上がっていないのに物価だけが上がっていく、いままで買えた物が値段の高騰により買えなくなる。

 

政府は、給料を上げた企業には法人税を優遇するといっているが、実際に今現在法人税を払っているのは全会社のうちの27%前後、つまり3割にみたないのだ。

 

他の7割の会社は、赤字決算等により法人税を支払っていないので、税制優遇などはそもそも無関係なのである。 つまり給料を上げてもなんのうまみがない、材料がないのだ。

 

だから給料を上げずに内部留保し、企業価値を高めようとする。

今現在の会社の経営は昔と違う。 昔なら利益が出たら社員に還元するというのが普通だったが、今では利益が出たら株主に還元するとなっている。

 

企業の評価も、経費が少なくて利益が出ている会社が『良い会社』と株の世界では見られている。 つまり経費とは人件費の事だ。 人件費は安いに越したことは無いというのが今の経営である。

 

銀行からもこんな話が漏れ聞こえてくる。

『給料アップするような会社には融資しない』

 

つまりコストアップし経営経費がまし、利益率が下がるような企業には融資しないというのだ。 これでは本末転倒だ。

 

今の首相が言っている『給料アップをお願いする』と言う言葉がむなしく私の胸には響いてくる。

 

社会主義国家だったら首相が言えば給料があがるだろう。 でも日本は民主主義国家だ。 民主主義の原則は自由経済。 つまり自由に経営をする。 国が何と言おうと、内部留保や株主配当、役員報酬にお金がまわり。 末端社員には全くの恩恵がない場合もある。

再度になるが、今のところ私の給料は一銭もあがっていない。 期待していいのか?

 

物価だけが上がっていき、給料が上がらなかったら生活が更に苦しくなるだけだ。

私は、家庭があり息子もいる。 月に残業時間は過労死認定される時間。 しかし残業代はプライスレス!! 0円だ。

年収はかろうじて300万円程度の私には非常に厳しい現状である。(会社名で、大手検索エンジンで検索すると『もしかして ブラック』と出る会社ではあるが・・・。 これを見たときに思わず笑ってしまった♪)

 

私の住んでいる東京は家賃も高い。 以前地方の物件の値段を見たときにビックリした。 私が住んでいる同条件で家賃が半分なのだ。 つまり地方からみたら東京の家賃は2倍。 東京の家賃は高すぎる。 生活費の中の家賃のパーセンテージが高すぎる。

 

そうそうこの前私の住んでいるところの目の前に新築の家が4棟建った。 どんなもんだかと見に行ったらなんと、30坪の3LDKの家が6800~7200万円!!

 

もう東京ではオリンピックも決まった影響なのかバブルが起きているか!!! 一部オリンピック開催エリアでは土地の値段が倍になったとか・・・。

 

どんどん色々な物が高くなっていくなかで、給料据え置きの国民の事を政治家はどう思っているのだろうか。

 

政府は景気を良くして、税金を沢山取り国の借金を減らそうとしている。 消費税増税しかり経済界優先政治しかり、そのおかげで物の値段が上がっていく。

 

まずは国の税収以上の予算を組む体制を見直して頂きたい。

家庭に置き換えたらおかしな事だ。 父ちゃんの給料が20万なのに、家の一ヶ月の出費は35万円。

これではどうにも借金は減らない。 増える一方だ。 普通の家だったら、給料20万いないで生活する為にはどうしようかと考えるところを。 いまの政治は、給料を40万にすればいいじゃん! と考えている。

 

来年の消費税増税でさらに家計は冷え込む。

末端物価上昇分の15%~30%程度の給料アップが見込めなければ、生活は苦しくなる一方。

 

どうしたもんだか。

そろそろ軽減税率の事を考えても良いんじゃないかな。

食料、本、新聞の税金は免除もしくは5%据え置き位の対策があってもよいのではないか。

 

本や新聞は知恵の源。 それが収入によって購入機会を失うなんて事はあってはならない。

食品もそうだ。

 

そもそも政府とは国民の代表のはず。 それが一部の人間に偏った政治を行い、弱者を切り捨てるような政策を打ち出してはいけない。

 

最近、国会に吉野家が出来たらしい。 そこで1200円の牛重という商品が特別メニューであるらしい。 一般店舗の吉野家にはそんなメニューはない。

 

これは国会議員は金持ちだから、一食に1200円出してもへっちゃらというメッセージなのか! 私には一食1200円のご飯はなかなか食べることが出来ない。

やっぱり感覚がずれているんだろうな。

いまの副総理が総理大臣だったころ、カップラーメンの値段を聞かれて確か500円と答えた。

 

それが全てを表しているのだろう。

2世、3世議員で成り立っているいまの国会。 庶民感覚は無いのだろう。

 

百歩譲って、福島の問題は早急に解決してほしい。

最近、小泉元総理がしきりに『脱原発』を訴えている。 その脱原発を無責任だと叩く、大手新聞社がいる。

 

色々な主義主張が行きかう中で、あるがままを受け入れるという人間の原点に一度戻る時代がやってきているのだろう。

 

私は今は年収が東京に住んでいるのに300万円と低いが、戦争の砲弾に怯える必要もなく、食料がなく飢えに苦しむこともなく、必要な医療を受けれずに命を落とすこともなく、とても安全な日本に住んでいます。

 

ただ単に生まれる国が違っただけで、苦しんでいる人々がいます。

どうぞその事も絶対に忘れずに、日々感謝しながらそして世界がよい方向へ向かうように祈りなが日々を大事にしたいと思います。

 

 

あなた色のメガネ

あなたは、あなた色のメガネを通して世の中を観ています。

 

あなたは、あなたオリジナルの色合いのメガネを通していつも、世の中を観ています。

 

このメガネの色は、人それぞれで度数も人それぞれです。

一人として同じ色のメガネはありません。

 

赤色のレンズの人、青色のレンズの人、近くがよく見える人、遠くが良く見える人、人と違うものが見える人等様々です。

 

このメガネのレンズの色は、自分の経験、知識、先入観、思考などで着色されます。

 

この色のせいで、今起きている出来事をそのまま観る事が出来なくなり、自分の主観が入ってくるのです。

 

世の中で起きる出来事を、自分色のついたメガネと言うフィルターを通してみるので、同じ出来事が起きても人それぞれ感じ方が違うのです。

 

例えば、同じ映画を観ても感想は人それぞれです。

これはやはりあなた色のメガネを通してみている影響です。

 

別にあなた色のメガネが悪いといっているのではなく、あまりにあなた色のメガネを掛けて世の中を観ていると偏った見え方になってしまうので、時々メガネをはずして観て見ることも大事かなって。

 

赤色のレンズのメガネを掛けて見ると、見えている景色の中の赤色の物、出来事ががよく見えなくなってしまいます。

 

だから時々、メガネをはずしてあるがままを見てみるとまた違った視点で物事が見えるようになります。

 

私のメガネで観ると、車で走っていて道を譲ってもらったらきちっと挨拶・お礼をするのですが、違う人のメガネでは、道を譲ってもらってもそれが『あたりまえ』で挨拶やお礼をしないでいく人がいたりします。

 

こういうことは、様々な場面で遭遇しますね。

メガネの色が違うから見え方も違うのでしょうね。

 

あるがままを観るためには、あなた色のメガネを一度はずす必要があります。

 

きっと気付く事があるはずですよ。

 

 

 

無限の可能性

あなたの前には無限の可能性が広がっています。

 

2020年東京でオリンピックの開催が決定しました。

日本が戦争でもやらない限り、オリンピック開催は決定です。

 

あるタレントさんとオリンピック関係者の会話。

 

タレントさん『俺、オリンピックのレポーターをやりたい』

 

オリンピック関係者 『タレントさんは、レポーターをやりたいのですか? メインパーソナリティや開催式のセレモニーなんて事もありますよ。』

 

タレントさん『えっ! そんな事も出来るの?』

 

オリンピック関係者 『えぇ~、まだ何も決まっていませんから、いま目の前にあるのは無限の可能性だけです。』

 

この話の内容はオリンピックと言う、目的に対して無限の可能性が広がっているという内容です。

 

これは、たまたまオリンピックを例え話として取り上げましたが、私たち全員の未来は、まだ何も決まってなく広がっているのは無限の可能性だけなのです。

 

今の続きに未来があるのではなく、未来はいつでも書き換える事が出来るのです。

 

例えば、いま運動不足でたるみきったお腹を未来では変えることが出来るのです。

 

今のまま運動不足であれば、そのたるみきったお腹は変わるぬばかりか更にたるんでいくでしょう。

 

でも『今』から努力すれば、引き締まったボディになることだって可能です。

 

何もしなくても未来はやってきます。

いまから腹筋、背筋を日課にし日々努力すればそのたるんだお腹は未来では引き締まったボディに変わります。

 

日々、だらだら目的をもたず生活すればただ単に日常が過ぎていきます。

 

いま目的を明確にし日々、1ミリでも前に進めば未来は変わります。

もし自分が望んだ未来が実現しなくても、そのプロセスに意味の無いことはありません。

 

例えば、何か国家試験を取ろうと取り組んだとしましょう。

もし勉強して国家試験を受け落ちたとしても、その国家試験の勉強をしていない人よりも、その知識が身につきます。

 

他の人が知らない事を『知る』事になるのです。

これが意味の無いことと言えるでしょうか。

 

これは別に試験だけでなく、日常がまさにこれなのです。

日々生活し、1mmずつでも努力していくその積み重ねで身につく物や得るもの、到達する場所があります。

 

あなたの前には無限の可能性しかないのです。

 

もしあなたの生活環境がいま恵まれていないと感じていても、未来はあなたが変えることが出来ます。

 

その無限の可能性を行使するか、使わないで過ごすかは自分次第です。

 

無限の可能性は、すべての人類に平等に与えられています。