正直であれ

常に正直である必要があります。

 

私達のすむこの世界には様々な法則があります。

 

この法則は目に見えるものから見えないものまで様々な多種多様です。

 

その一つに反射の法則があります。(勝手につくりました♪)

 

この反射の法則とは、自分の行い考え行動がすべて自分に返ってくると言うものです。

 

もし自分が嘘をついたら、自分も他人から嘘をつかれます。

 

もし自分が怒っていたら、あいてもだんだん怒りを感じ始めます。

 

もし自分が喜んでいたら、あいてもだんだん喜びを感じます。

 

つまり自分の考えや言動、行動が他人に影響を及ぼしそれがまた反射となり自分に返ってくるというものです。

 

例えば、こんな事を経験したことがある人もいるでしょう。

 

とても楽しくうれしい気分だったのに、ある人に出会ったら急にその気分が萎縮しなんだか楽しくない気分になった体験をしたことがある人がいるとおもいます。

 

これはなぜ起きたかというと、自分の『楽しい気分』よりも、そのある人の『気分』のほうが勝っており、自分の楽しい気分を維持できなくなって相手の『気分』の影響を受けてしまったのです。

 

この反射の法則とは、自分からの反射もあれば、相手からの反射もあるのです。

 

ここで大事なのは自分の中の正直な気分を常に維持する事です。

 

どんな人にあっても影響されず、いつも自分の安定した気分を維持していれば、『ある人』にあっても相手の影響を受けず、逆に相手に良い影響を与える事が出来るようになります。

 

そのためには常に正直な自分でいることが必要です。

 

 

『自分に正直になれば、他の人の事に良い影響を与えることができます。』

 

 

成長のチャンス

成長のチャンスとは常に困難という形で私達の前に現れます。

 

私達が生活していて直面する困難。

 

実はこの困難こそが自分がジャンプアップする成長の機会を与えて頂けたということなんです。

 

出来れば困難は避けて通りたいものですが、白菜が冬の寒さに耐え甘みが増すのと一緒で私達の困難はすべてが自分のレベルアップの為に起きているのです。

 

困難に対する意識を変えましょう。

 

困難が起きたら

 

『成長の機会を与えて頂いた』と思いましょう。

 

困難はチャンスです。 チャンスの合図が困難ならば困難に気づいた瞬間にその先にはまだ見ぬ成長した自分への道しるべが立っているのです。

 

なんてラッキーなんでしょう。

 

いま身の回りを見渡して困難を探しましょう。

 

小さな困難、大きな困難を見つけましょう。

 

そしてその困難を解決する方法を模索し、自分なりに挑戦していきましょう。

 

一つ一つ困難を解決する事によって、だんだん困難が困難ではなくなっていくでしょう。

それこそが成長の証。

 

例えれば、自転車と同じです。

 

小さな頃は、補助輪をつけ自転車をのり漕ぐのもままならない。

 

そんな困難を乗り越え

 

やがて補助輪をはずして自転車を乗ることが出来るようになります。

でもなかなか真っ直ぐ走れず転んだりしながら自転車を乗ることを覚えます。

 

そしてその困難を乗り越え

 

やがて自由自在に自転車に乗れるようになります。

 

困難を克服するためには、そこにあるプロセスを一つ一つ丁寧にこなしていけば良いのです。

 

決して逃げず直球勝負です。

 

『困難とは成長のチャンス。 困難に気づいたらラッキーと思い、そして気合を入れて立ち向かいましょう。』

 

一歩ずつ

何事も一歩ずつ。

 

いきなりゴールに行こうと思ってもそれは難しいです。

 

一歩一歩を大事にして、地道に歩んでいく事が大事です。

 

ゴールばかりみていて、その歩みの長さに尻込みするよりもはじめの一歩を大事にすれば、そのとは一歩二歩と歩みを進めることができます。

 

途中途中で確認の為に、中継地点を作ると良いです。

 

10歩目、20歩目などに確認の為の中継地点を作ると、今まで自分が進んできた道の確認材料になります。

 

ただ、漠然と進むより確認しながら進んだほうが達成感がありますからね。

 

何か目標がある人。

 

何かやらなければいけないことがある人。

 

今の自分を変えたいと思っている人。

 

心が疲れてどん底に落ちている人。

 

どんな人でも一歩目の歩みを踏み出せれば進みだすことができます。

 

 

傷と磨き

私たちは時々心が傷つく事があります。

 

とても深い傷を負い立ち上がる気力もなくなるほど、心が疲弊してしまう事を経験したことがある人も多いと思います。

 

自分の人生の中で癒されない心の傷。

 

本当にせつなく悲しい心の傷。

 

誰しもが持っていると思います。

 

だけどそれは本当に『傷』なのでしょうか?

 

それは心が『磨かれた』だけなのではないでしょうか?

 

『心に傷がついた』と『心が磨かれた』は、どちらもザラザラとした痛みを感じます。

 

ただ磨かれた場合、その痛みが磨くヤスリとなって心を磨きそして心を光輝かせるのです。

 

実は自分が傷だと思っていたものが実は磨きだったりします。

 

傷と磨きは同じような物。

 

でも自分の考え方、受け取り方次第で別のようなものになります。

 

いままで深い傷を追ったと思っている事を、振り返って

 

『これはもしかして磨かれたのでは?』

 

と改めて自分の記憶の受け取り方を修正してあげることによって、深く根をおろした傷ついた過去を磨きの過去に変えることが出来るようになります。

 

傷は実は磨きだった。

 

その事に気付くだけで良いのです。

 

 

歩み

人には色々な歩みがあります。

 

歩みが早い人もいれば遅い人もいます。

 

歩みとは、ただひたすら前を見て歩んでいくこと。

 

歩みのなかに学びの機会は与えられます。

 

歩みを止めてしまったら、学ぶチャンスが目前にあるのにそこまでたどり着けません。

 

歩みをすすめる事が大事です。

 

色々な道があります。

 

どんな道でも歩みを進めていけばやがて暖かな道につながっていくでしょう。

 

暖かな道は必ずあります。