有難い

有難い。(ありがたい。)

この言葉を日常的に使っている人はどれくらいいらっしゃるでしょう。
私は、ありがたいの現代語の『有難う』をよく使います。
朝起きてちょっと変な習慣かもしれませんが、
『太陽さん、お月さん、地球さん、宇宙さん、有難う』と毎日太陽さんを見ながら感謝を伝えています。
本当に有難い。
普通に朝が来るのだけれど、もし地球が時点をやめたら!!
もし、お月さんがなくなったら!!
もし太陽さんがなくなったら!!
もしいまの宇宙が違う形に変わってしまったら!!
とんでもなく変化が襲ってくるでしょう。 地球が時点をやめたら気候変動どころの話ではなくなるし。 お月さんがなくなったら重力のバランスが崩れるし。 太陽さんがなくなったら温度がマイナスの世界になり人間が住めなくなるし。
宇宙がもし変わってしまったら何もかもがかわってしまうでしょう。
なんて事は日々考えていません♪
ただ、いつも訪れてくれる朝という時に、なんとなく有難いなって思っている次第です。
そうそう、きょう夕方、風が強いときに砂が目に両目に入ったのです。 右目はすぐに砂が取れたけど、左目は目の奥のほうにはいったらしく出てこない。
そりゃ、痛いのなんのって涙をながしていました。
仕事が終わって家に帰ってきた時には、砂がはいってから4時間が過ぎていました。
洗面所で『なんとかならないかな』と水で目を洗ったり、シャワーで流したりいろいろ試していたのですが、なかなかしぶとい。
なかば諦めかけて、『どこにはいっているんだ!!』とまぶたを裏返しにしようとしてみようとしたら、そのとき
『あれ! とれた』
本当に有難い瞬間でした。
有難いと心から思いました。 守ってくださる方に感謝感謝です。
人によっては『取れた』という事実だけで感謝もしない人もいるでしょう。
でも困難が逃れたときには、そっと力添えをしてくださる方がいらっしゃる物です。
今回私の場合は、お水かもしれませんしお湯かも知れません。
果てまた違った力かも知れません。
いずれにせよ有難いです。
有難いと思うのは自由ですし、有難いと思ったほうが幸せです。
有難いは、幸せになる一つのスキルだとも思います。 多くの有難いを発見できるようにスキルをお互い磨いていきましょうね。

人生やまありゃ谷あるさ

人生やまありゃ谷あるさ。

人生って不思議なもので、山と谷がる。
山は調子がいい時、谷は不調の時。
人間の身体にもバイオリズムという物があるけど、人生にもバイオリズムとにたものがある。
でも、人生のなかの山と谷は、殆どの場合学びの機会になっている。
人間ってものは不思議なもので、自分が落ちるところまで落ちないと中々学べない。
頭で理解しようとしても無理。
体感して初めて気付く。
そういう風に出来ているようだ。
人生の中の谷にいると気付いたのならこう思おう。
『学びの機会だ』
と。
人生やまありゃ谷あるさ。
もちろん谷のあとは山だ。
そしてそれを繰り返しながら、人生という大きな山の頂上に向かっていく。 谷はドンドン浅くなっていく。
歩みを進めよう。

安全を度外視して優先させる事は何もない。

安全を度外視して優先させる事は何もない。

大震災より2年の月日が経ちました。
私達はなにか学んだでしょうか。
私達は気づきに素直にしたがったでしょうか。
私達は何か大事な事を忘れていませんでしょうか。
私達は少なくとも気付いた筈です。 
気付いた事を忘れてしまっていませんか。
安全を度外視して優先させる事は何もありません。
安全だといってもそれが本当には安全でなかった事にも気付いた筈です。
多くの学びを今にいかしていきましょう。

自己否定

自己否定。

これは人間に与えられた怖れの一つである。
私達は、ある通過点を通るまで
『自分に価値はないのではないかと』
思い悩む事がある。
これは、ほぼ全ての人が通る道。
あなたのそばにいる人、あなたが逢う人、ほぼ全ての人が一度は通過した道かもしれない。
『なんの為に生きている』
私もそんな事を思った事がある1人である。
『何かをしなければ』 『このまま何があるのだろう』 『夢や希望とはなんだろう』
私には価値が無い・・・。
そう思った事。 そう悩んだ。
この世から消えていなくなりたい。
『何のために産まれた』
そう思った事がある。
私も自己否定の道を通った。 通り過ぎた。
存在する意義。 そんな事は私には解らなかった。
ただ、存在すると言うことその事実は変えようが無い。 存在する事自体が意味がある事なのだと気付いた。 
存在する価値が無ければ、きっと初めから存在しないだろう。 それは存在する必要が無いからだ。
存在する事、事体に意味がある。
そしてあなたが表現しなければいけない物がある。
それはあなたがもつ愛をこの世界に表現する事。
もしあなたが死ぬまでに、道端のごみを拾いきちっと捨てたのならば、それだけで十分役に立ったといえよう。
あなたが電車で席を譲った事があるならば、それは十分役に立ったといえよう。
あなたが困っている人に、そっと手を差し伸べた事があるのならば、それは十分に役に立ったといえよう。
あなたが友達が悩んでいるときに、一緒に考え、悲しみ、一緒に泣いたことがあるのならば、それは十分に役に立ったといえよう。
あなたもし花にお水をあげた事があるのならば、その花は喜んだ事でしょう。
それは十分に役に立ちました。
あなたが存在する。
それだけで十分に役に立っている。 あなたは必要な人。 
そう必要な人なんです。
あなたがこの文章を読んでくれた、それだけであなたは私にそっと愛情を注いでくれたのでしょう。
ありがとう。
あなたがこの世の中に存在した奇跡に感謝致します。

視点

視点。

あなたの視点は何を見ているのだろう。
目の前に映っている景色。
過去の思い出。
未来の事。
どの視点をあなたは持っているだろう。
視点はとても大事だ。
目の前ばかり見ていると、自分がどの道を進んでいるのか解らなくなることがあるから注意が必要だ。
過去の思い出ばかりを見ていると、前に進む力がなくなるから注意が必要だ。
未来の事ばかり見ていると、今がおろそかになる。
全てはバランスが大事です。
視野は広く、多角的に物事をみる必要がある。
ただいかなるときも、忘れてはいけない。
あなたの視点は、あなたが見ようとしているものをみていると言う事を。
あなたが、あなたの視点の運転手となりよき道に導く必要がある。
あなたがよき道を進むように注意深く視点を意識すれば、いままで見えなかった道が見えてくるであろう。
それは良き道か悪き道かは判らない。
その道は進んだものにしか理解出来ない道だ。
唯一つだけいえる事がある。
この世の中に『善い事』も『悪い事も』ない。 ただ全てはあなたが判断しているだけだ。
あなたが何を視ようとしているかが大事です。