ビジョン

私たちはこの世に生まれるときビジョンを持って産まれてきます。

 

今生でやるべき目的があり、それを成就するために魂の故郷からまたこの現世へ産まれてくるのです。 しかし産まれてくるときに、ビジョンを持って産まれてくるにも関わらず、産まれた瞬間にそのビジョンを忘れてしまうのです。

 

時々、ビジョンを持ったまま産まれてくる方もいらっしゃりますが、殆どの方は忘れてしまいます。

 

なぜせっかくビジョンを持って産まれてくるのに、忘れてしまうのでしょう? ビジョンがあったままの方が目標が見えているから人生がスムーズに運ぶはずなのに・・・。

 

これは、決められたレールの上を進んでいるだけでは『学び』が無いからなのです。 ビジョンは、あくまでも『最高の希望』です。 希望ですから成就しない時もあります。 まったく違った結果を見る場合もあります。

 

但し、それはそれで良いのです。 それでこそ産まれてきた甲斐があったという物です。 決められたレールの上を進むのではなく、自分で必死に努力し悩み苦しみ挫折をしながら生きていく事に大きな意味があり、ビジョンに繋がる学びがあるのです。

 

今生で成就しなくても、次の魂に引き継がれてきます。 

 

さて自分はどんなビジョンをもって産まれて来たのでしょうか? それを知るためのポイントは。

『わくわく』と『どきどき』がポイントになります。 自分がワクワク、どきどきする時には、本来の自分に一番近い状況にあるのです。 それが自分の目的につながる一番の近道をしめしているのです。

 

ワクワク・どきどきを大事にしてください。 ワクワク・どきどきを感じたことをしっかり持ち続けチャレンジしていくことが、ビジョンに繋がる道なのです。

 

逆に、ワクワク・どきどきしない事を自分に理由をつけ続けていくと、生きる力がどんどん失われて生きます。 これはもって産まれたビジョンとかけ離れた事をしている時です。 もし力が失われている感じがしたならば、意識してワクワク・どきどきする事を捕らえる必要があります。

 

そんな時に感じたワクワク・どきどきは起死回生のワクワク・ドキドキなのです。 

 

人はビジョンを持ちこの世に産まれてきます。 自分がどんなビジョンをもって産まれた来たのかを少し立ち止まって考えてみると、良いかもです(^^)

 

拍手ボタン

拍手ボタンに暖かいコメントを下さる方、いつも有難う御座います。

 

気付いている人もそうでない人もいると思いますが、実はHAPPY-元気.comのTOPページ中段の右側に拍手ボタンがあるのです。

 

このボタンはなんであるかというと、共感していただいた人がいるのかという思いから設置しています。 人間って、演劇やコンサート、映画などをみて感動したときって拍手しますよね☆

 

なのでリアクションがどれ位あるのかなぁーと思い、サイトのTOPページに設置しているのです。 拍手が多いときは、とってもうれしくなりサイトの運営モチベーションもあがりますし、少ないときは下がります。 

 

そしてその拍手ボタンには、コメント欄もあり時々『有難う』などのコメントを入れてくれる人がいると本当にサイトを運営していて良かったと心から思います。

 

掲示板に書き込む勇気がない人もいるかなと思い設置した拍手ボタンもまた一つの役目をがんばってこなしているようです。

 

拍手していただいた方にこの場を借りてお礼申し上げます。 有難う御座います(^^)

 

拍手ボタン

言葉にも思いやりを持つ。

自分が使っている言葉に思いやりを持っていますか?

 

自分が使っている言葉の力を知っていますか?

 

 

言葉には大きな力があり、一瞬にして相手の感情に影響を与える場合があります。何の気無しに使った言葉が相手を気ずけたり、怒らせたりする事があります。

 

スムーズに人間関係を育むために必要な言葉の使い方の大原則があります。

 

1 頭ごなしに相手を否定する言葉を使わない

2 言葉を使うときは自分の価値観や思想を相手に押し付けない

3 相手の事を想い、思いやり心がこもった言葉を使う。

 

この三つが出来ていれば、人間関係は劇的に良くなります。 逆にこの3つが出来ていなければ、相手の事を怒らせたり、傷つけたり自分が知らないうちにしているでしょう。

 

言葉を使うときは、思いやりの心を大事にすると良いです。 自分も相手から思いやりの心がこもった言葉で話しかけたら悪い気はしないはずです。

 

人と話すときは思いやりの心を大事にしましょう(^^)

 

影響力

私たちは人に与える影響力を持っています。

 

一番身近に影響力を発揮している場所は、家庭だと思います。

家庭とは、とても身近な人間の集合体の為、一人の行動がもろに家庭全体に影響を与えてしまいます。

 

例えば、酒乱のお父さんがいた場合には、そのお父さんがお酒をのみ暴れることによって家庭に影響を与えます。

 

この影響力はとても大きく、家族の皆の人生にも影響を与える可能性があります。 

 

他には、引きこもり、反抗期なども家庭に深刻な影響を与える力を持っている可能性があります。

 

言ってしまえば家族とは、一人一人の個人の集合体です。 自分の行動が他の個人に影響を与えると言う事を、いま私たちは認識する必要があると思います。

 

親も実は、れっきとした個人であり固有の人生があるのです。 その人生の歯車を狂わす権利は誰にもありません。 また子供も確固とした一人の個人です。 その個人の人生の歯車を親が狂わす権利もありません。

 

大事なのはお互いの事を『人間』として尊重する必要があるということを忘れてはいけません。 

 

尊重する為に必要な物は一つしかありません。 それは『愛』です。 子供を愛する心、親を愛する心がとっても大事なのです。 

 

愛については、時折触れさせていただいたおりますが、愛とは自分の内側にあるものです。 愛は求める物ではなく、与える物なのです。 但し、与えるというと勘違いする人がいますが、決して物ではありませんので間違えないでください。

 

物でしか判断出来ない場合、それは間違いなく愛ではありません。 物を与える事は物質的な事で、それは愛ではありません。 ただし、物質を挙げる場合でも、そこに自分の中の無償の愛がありそれが動機となっている場合は良いでしょう。

 

ただ、相手を物質的に満足させるために用意した物は、それは愛ではなくただの物質でしかありません。

 

最近、この豊かな日本では子供に愛ではなく物質を与える事が横行しています。 子供は、おもちゃを貰えればそれは喜ぶでしょう。 ただそれは一時的な喜びでしかありません。 一時的な喜びが消化されてしまうと、また他のおもちゃを欲しがるでしょう。 

 

そしておもちゃを買ってもらう事が、親とのコミュニケーションだと子供がはき違えてしまい、物質が親から自分を見た場合のバロメーターになってしまううのです。 

 

おもちゃを買ってもらえないと、自分は愛されていないと思ってしまうようになるのです。 こうして育った子供はやがて親になり、子供を持ったときに、物を与えることが愛だと思い一生懸命物を買い与えます。

 

ただそこには、本質の愛が無いために、子供の心にはどこか満たされない『穴』がぽっかりと開いてしまうのです。 いまそんな状態になってしまい、多くの子供たちの心に問題が発生している国があります。

 

他の国では、子供の下校の際に先生が『I LOVE YOU』と言って子供たちを見送る国があるそうです。 そこには物は一つも存在しないのに、子供たちは愛を感じることが出来る空間があります。

 

話は大きくそれましたが、私たち一人一人が実は他の人に与える影響力を持っているのです。 行動をするとき、人に接するときには是非、愛を大事にしてみてください。

 

その愛はきっと広がり素晴らしい輪が広がってゆきます。

 

愛を大切に(^^)

 

 

 

愛は己の中に。

十数年前に愛と神様について考えたことがあります。

 

私は、十代の頃から『何故生きるのか』と生きる意味を考えていました。 そして愛はどこにあるのか、神様はいるのかと考え始めたら底がない世界にどっぷりとつかっていました。

 

小学生からの家庭内別居状態の家に育ち、高校生の頃には心臓病を患いそんな中、生きてきたら『何故生きるのか』という疑問が自分の中に生まれたのです。

 

私は、ずぅーっと考えていました。 愛と生きる意味の事を。

 

そしてとある日気付いたのです。 愛を自分以外の物に求めてもそれは一時的な物だと言うことが解りました。 そしてまた一つ愛とは己の中にあり無限に湧き出ている物だと言う事にも気付きました。

 

自分の中に優しさや慈しみの心が途絶えない限り永遠に自分の中にあるのです。 もっと言うと優しさや慈しみの心が途絶えたとしても、その根底にはしっかりと愛があるのです。

 

人は常に愛に繋がっています。 それに気付くか気付かないかだけなのです。

人に愛を求めた事がある人ならば解るでしょう。 相手に求める愛には限りがあることを・・・。

 

私も気付いた一人です。 そして自分の中の愛にも気付いた一人です。 

 

自分の中の愛は、無限の愛です。 尽きることなく無限にあふれ出てくる愛に気付くことが出来ると、心で物事が見えるようになりました。

 

そして自分の中にある無限の愛と神様は似ていることにも気付きました。 人は神様を自分の外側の世界に求めます。 ただ外側に求めている限り、限りがあります。

 

己の中に神様はいるのです。 愛と似ています。

 

愛は己の中にあります。