不幸の理由を探す癖

いま自分が幸せでないと思っている人には共通する癖があります。

 

それは『不幸の理由を探す癖』です。

 

これは何かというと、いまの自分を徹底的に見回して不幸である理由を無意識に探っているのです。

 

『お金がないから幸せでない』 『恋人がいないから幸せでない』 『仕事がつまらないから幸せでない』 『車を持っていないから幸せでない』 など、自分を見渡してかった端から不幸の理由を探るのです。

 

そして『自分は不幸』だと勝手に思っています。

 

逆にいつも幸せそうな人は、不幸な理由を探す人とは逆に身の回りの小さな事に幸せを見出します。

 

『今日も晴れていて幸せだ』 『太陽が見れて良かった』 『お花が綺麗で素敵だ』 など、不幸だと思っているとは、全く違う物事の見方をします。

 

不幸だと思っている人が、幸せだと思っている人と同じ『お花』を見たとしても、2人は全く違う反応をします。 幸せだと思っている人は『わぁ、素敵なお花』、 不幸の人は『ふぅーん、花か』 という様な感じです。

 

もうお解りだと思いますが、いつも幸せそうにしている人は常に、『小さな幸せを積み重ねている』のです。

 

逆に、不幸だと思っている人は、『小さな不幸をドンドン積み重ねている』のです。

不幸の理由をドンドン積み重ねて何が楽しいのでしょう? 何も楽しくないはずです。

 

だったらもう『不幸の理由を探す事』止めた方が良いですよね。

不幸の理由を探すのを止めただけで、少なくとも理由を探してる時より幸せになれます。

 

そして今のままで幸せな事に気付く方向を向いたことになります。 人は今のままで十分幸せなのです。 物質的な欲求は、他に幸せを求めているだけです。 物質を手に入れても幸せにはなれません。

 

例えば、『ギターがうまく弾けたら幸せだ』と思っている人が、凄い高いギターを買っても意味が無いですよね。 凄い高いギターを買ってもギターを弾けるようにはなりません。

 

ギターは、自分が練習しないと弾けません。 ようは外側のものに頼っても幸せにはなれないと言う事です。 凄い高いギターを買う前に、うまく弾けるように練習が必要です。

 

『お金が無いから不幸だ』と思っている人は、『お金が手に入ったら幸せになる』と思っています。 まさに外側の世界に頼っています。 ギターの例と同じで、お金が手に入っても一時的には幸せを感じるかもしれませんが、お金が無くなったらまた元通りです。

 

これでは本当の幸せとは言えませんね。 本当の幸せとは自分の外にあるのではなく、自分の中にあります。 

 

自分が外の世界にたよらず、幸せと思えれば、どんな環境・境遇にいても幸せなんです。

砂漠に住んでいても幸せを感じている人もいます。 文明がない奥地に住んでいても幸せを感じている人がいます。 色々な環境・境遇にいても幸せを感じている人がいます。

 

幸せは自分の心の中にあります。

 

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2 Replies to “不幸の理由を探す癖”

  1. 虹の雲さん、こんにちは(^^)
    同じ事を考えていたようですね。
    『隣の芝生がよく見える』でも隣の人はそんなによく見えていないって感じですね。
    人は他人と自分を比べたがりますが、この呪縛から解き放たれたらどんなに幸せで楽しいことでしょう。
    そもそも、自分と他人は何も変わらないのに、なぜかエゴという意識が産まれてしまいます。
    そろそろ気付いてきた人が増えているようですね(^^)
    何でもないような事が幸せだったと思う!!
    これは悟りの詩ですね♪

  2. (。・ω・)ノ゙ コンチャ♪
    おお?!
    まさしくその通り!
    私がブログで言いたい事です!
    (ちょっと背伸び・・・w)
    「隣の芝生が良く見える」みたいに
    他人と自分を比べてしまいがちですが
    そう思っている自分の現状は本当は
    幸せだったりしますね♪
    虎舞竜の歌じゃないけど
    何でも無い事がとても幸せなんですよねw

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