傲慢になるべからず

傲慢になるべからず。

 

傲慢な人をみると人は『なんだあいつ!』という感情を持ちます。

 

もし自分が傲慢になっていたら、他人からは『なんだあいつ!』と思われているという事に気付く必要があります。

 

物質原理主義の世の中、勘違いしている人が増えています。 お金を持っているから偉いわけでもなく、会社で肩書きが付いているから偉いわけでもありません。

 

そもそも人に偉いも偉くないもないのです。

いまこの記事をよんで、もし自分に傲慢なところがあると気付いた人は今からでも遅くありません。 改めれば良いだけです。

 

人に対する尊敬の念をもちましょう。 人は誰しもが神の一部なのです。 人は自分と同じ苦しみを持ち、おなじ苦悩の日々を送っています。 みんな同じなのです。

 

おごり高ぶりは、一時的な物質の豊かさによって起こる事を十分ににんしきしていれば、傲慢にならず謙虚でいれる自分がいるはずです。

 

人はみな『自分の立てた愛の仮説を追い求めています』

その為に生まれてきました。

 

傲慢な心はその対極にあります。 つまり自分が立てた愛の仮説を証明する事が出来ないのです。

 

常に謙虚である必要があります。

 

傲慢である事がないよう心がけが必要です。

 

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3 Replies to “傲慢になるべからず”

  1. 元気さん!暖かいお言葉ありがとうございます。「徳の高い行為」には、まだまだおよびませんが、この世に恥ないよう生活したいと思います。

    昨日の出来事。スーパーで買い物しレジを通過。遠くで待っていた夫が「誰に礼してるの….?知ってる人なのかい……。」
    「いいじゃないの…….。」と私は笑った。
    前に並んでたおじさんと目があったので礼をしただけなのです。ささいなことで幸せを感じれるようになって嬉しいです。
    元気さんの返信を励みに頑張ります。どうもありがとう!

  2. 謙虚になって頭下げて生きているとそんな自分をおかしく感じることもあります。相手は普通なのだからそんなに謙虚にならなくてもいいじゃないの…….ともう1人の自分がささやいています。
    相手が普通でも怒っていても意識して謙虚な気持ちで人にせっしたいものです。難かしいですが自分から謙虚になって相手に気づかせてあげたい。頑張ります。

    1. 謙虚になって頭を下げることは、徳の高い行為ですよ。 徳の無い人は頭を下げることが出来ません。 人は神の一部なのですから、その神に向かって謙虚に接する姿勢は慈しみの心に繋がると思います。
      自分に出来て気軽に人に役に立つことが出来る『謙虚な姿勢』は、この世界に愛を広める一つの方法でもあると思っています。

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