それは最悪か?

それは最悪か?

 

己の口から発せられる言葉

『最悪』

しかしその出来事は本当に最も悪い出来事なのか。

過去にもっと悪い出来事に遭遇したことはないのか。

実はそんなにたいした事ではないのではないのか。

 

己の口から発せられる言葉に負けてはいないか。

言葉には『言霊』がある。

最悪という言葉の言霊は、ある種強力な力を秘めている。

それは言うまでもなく解ろう。

 

その言葉をたやすく使うことは、己を苦しめる事になる。

みずから、己を苦しめて何が楽しかろうか。

 

もし己にとって悪い出来事が起きようとしていたならば、言葉を選んで使えばいい。

 

『まぁ、なんとかなるさ』

 

この言葉はお勧めじゃ。

 

その他には、

『こんなこともあるよね』

 

これもいい言葉だ。

でも一番大事な事は、己の心の持ちようだ。

『これは起こるべきして起きた。 これは経験する必要あった』

と思えれば、そのこと自体たいしたことではなくなる。

 

単なる通過点でしかない。

 

なにも重く考える必要もなかろう。

 

もっと気楽で良いのではないかな。

全ては予定通り、ただそれだけだ。 なにも変化はない。 全ては己の進むべき道を進んでいるだけじゃ。

 

色々経験すればいい。 色々悩めばいい。

それがやがて己の為に役に立つ。 なにも無駄なことはない。

だからただ道を進めばいい。

9月1日は危険日

9月1日はとっても危険な日だそうです。

 

それは何かと言うと、子供の自殺が一番多いだそうです。

夏休み明けの中高生の自殺が相次ぐ 調査では自殺した子ども …

内閣府の調査では、多くの学校で新学期の初日にあたる「9月1日」に、自殺した子どもの人数が最も多かったことが分かっている

 

あまりこういうネガティブな記事は本当は書きたくないのだけど、子供の自殺が多いと言うことで、ほおっては置けないと思い少しでも多くの人に伝えなければいけないと思い書いております。

 

夏休みという学校と離れた時間を過ごした子供たちが、夏休みが終わり学校という現実に引き戻され、生きていくのが嫌になってしまうのでしょう。

 

いじめられている子、仲間はずれにされている子、なんのために生きているかわからない子、死にたいと思っている子。

 

色々な子友達がいます。

本人も好き好んで、こんなことを思っている訳ではありません。

そう思うしかない環境がそこにあるのです。 居心地が悪い、とっても苦しい環境がそこにあるのです。 そのことを周りにいる人が気付いてあげなければいけません。

 

もし自分が毎日苦しい環境にいたらどう思いますか?

 

『死にたい』と思うのは普通の事です。 そこから逃げ出す方法がそれしか見つからなかったら、嫌でもその選択肢しか頭の中に出てこなくなるのです。

 

だれかが助けてあげなければなりません。 SOSを見逃さず、聞いてあげなければいけません。 苦しんでいる子は、自分から上手に訴えることが出来なくなっているものです。 だから周りにいる人が手を差し伸べてあげなければいけません。 それは私たちがこの世の中に生まれてきた使命の一つでもあります。

 

キリスト教の言葉に『隣人を愛せよ』という言葉があります。 子供だろうと大人だろうとみんなに愛を持って接する事が、私たちの生まれてきた一つの目的であり使命です。 忘れてはいけません。

 

どうそ9月1日を愛を持って救いの日にしてください。

皆様の愛と協力が必要な日です。

 

以下は、直観さんです。


人は愛を学ぶために産まれてきた。

その事を忘れてはいけません。

子供より年を取ったもの、つまり大人。

あなた達は、子供を導かなければいけません。

あなた達は、自分が子供だった事を忘れていませんか。

だいぶ、大人の時間が長くなって子供の気持ちを大人の論理で考えようとしていませんか。

寄り添ってあげてください。

あなたの愛は、子供の愛に伝わるはずです。

一言でいいのです。

『大丈夫か? 何かあったら私に言いなさい』

と言ってあげればいいのです。

 

そしてもう一つだけ教えてあげてくださいね。

世界が広いことを!

子供たちは、学校の中の教室がすべての世界だと思っています。

 

世界が広い事を教えてあげてください。 教室の中だけそのクラスだけが世界ではないことを。

 

もしあなたが子供の親で、子供が苦しんでいるならば、無理に学校に行かせる事はありません。 学校に行かないことは悪い事ではありません。 それよりも行きたくない学校に行かせる事の方が、子供に苦しみを与えることになります。

 

そしてあなたは考えなければ行けません。

その学校に行かせ続けるのか、それとも違う環境、つまり違う学校にいかせるかです。

子供を転校させるのと、子供が命を失ってしまうかも知れない可能性がある今があると言うことを十分に考える必要があります。

 

あなたの愛は何と答えていますか?

あなたの愛の言葉に従えばいいのです。

 

どうか皆様、愛を持って隣人に接してください。

愛を忘れたとき、人は無機質にそして論理で人を傷つける事がうあります。

あなたが愛せば、あなたも愛されます。

 

どうぞ命を守ってくださいね。


 

 

 

気付き

いかなる理由があろうとも、人の命をあやめてはいけない。

 

私達は経験するためにこの世に送り出した。 その送り出した魂の経験を途中で終わらせる権利は本人にもない。 全ては生に委ねられている。

 

あなたはこちらの世から旅立つ時に、何を思い考えたかもうお忘れであろう。 しかしあなたが生きている限りそれを追い求め生きるであろう。

 

旅の途中で終わらせる権利は誰にもない。 私達にもない。

あなたの肉体の活動が終わった時、また魂は私達の所に帰ってくる。 私達はいまだかつて死んだことはない。 肉体は滅びても魂は私達のグループで生き続けている。 この集合体とも言える。

 

肉体を持つ魂の活動を、また違う肉体を持つ魂の存在が止めることは決してあってはならぬ。 これは悲しみである。

 

あなたがたは、肉体の活動を全うしなければいけない。 それが愛の存在の願いである。 もう気づいている肉体(人)もあろう。 魂は常に導いている。 全ては幾多の道から選んでいるだけなのだ。

 

戻ることも出来る。 進むことも出来る。 全ては自由だ。

魂は、気付きのチャンスを常に与えている。

 

あなたは気づいたろうか。 あなたは感じているだろうか。

あなたは良いことと悪いこと、そして自制する気持ちを持っているだろうか。

 

全ては気付くことが始まりなのです。

今を大事に。

『さて、新しい一年も始まったことだしなにを書こうかの~。』

 

と言う久々の直観さんの登場により始まった日記。

 

まさに今は『夢や希望』に満ち溢れていることでしょう。 一年のうちで一番、人々の全体意識として夢や希望が世界中に溢れます。

 

いまがピークとでもいいましょう。 これが一ヶ月、2ヶ月もすると元通りの状態になっていきます。 また『普通』に時が流れていくのです。

 

では、なぜ『夢や希望』が高まった状態を維持できずに段々下降していくかと言うと、それは人々が未来へという時間を歩んでいるからです。

 

つまり『今から未来へです。』

 

1秒先は未来、1秒後は過去。 そして今が現在。

 

いまの夢や希望が満ちている状態の世界も、時がすぎれば過去の話となる。 そして過去の事は人々は忘れていくものなのです。

 

だから『今を精一杯』生きる必要があるのです。 決して未来ばかりを見ず、決して過去を引きずる事無く。 その時、その時を一生懸命生きていれば(生かされていれば)、自分が描いた『夢や希望』に近づいていきます。

 

夢や希望という『今』を何もせずに見ていれば、それはやがて過去になっていくのです。 そしてあっという間に月日が流れていきます。

 

この差は結果として大きな差であらわれていくのです。

 

『まぁ、なにも考えずとも時は過ぎていくだろうの、ただ、しかし何かをやろうと思えば、きっと道がみつかるであろう。 そういうものだ。 人々はしらずのうちに選択しているのだ。 全てじぶんでじゃな。 そしてその選択した結果、今いる環境を作っているのじゃ。全ては自分の選択の結果なのですぞ。』

 

 

世の中

世界にはそれぞれの主張がある。

 

個人にもそれぞれの主張がある。

 

今の世の中は、エゴを持った人間同士が争う世の中になっている。

世相にも現れている。

 

争いとは争いでしかなく正義ではない。 争いは争いしかうまない。 今宵の歴史にてそれはわかるであろうに。

 

争うことをやめようとしない人々が世にいる。

但し、これは良くも悪くもない。 ただ起きている出来事に過ぎぬ。

過ちはあとから気付くであろう。 但し、あとで後悔しても遅いのだが。

 

力を持つといつの世も、使いたがる者がある。 力とは使うものではなく、支えるものである。 表に出てはならぬ、ひっそりと持ちのぞんでいればいい。

 

気付くものも多い、気付かぬものも多い。

それが世の中なのだから。 善いとも悪いともない。 ただ起きているそれだけなのだから。

 

ただ、愛を忘れてはいけぬ。 愛は己の力であり、支えである。 力とは愛なのだ。 おのがたがたが、忘れている一番の物は自分が愛だということではなかろうか。

 

一人でも多くの人々がそのことに気付くことを願う。

エゴを捨てれるかは、それぞれ次第だ。